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作品名 アカンタレの話(18) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(18)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/13 08:53:45

+++中学の校内は無論行き帰りの路
でも、一度も女の姿を見掛けた事が無
かった。この説明は不合理としか言い
ようがないが、仮に実際に見ていて
も、私は女から目をそらせ続けていた
事になる。人には、そういうことが可
能なのだろうと思う。  

18.小ニの世界
 先に書いた様に、私は小二の当時腺
病質でしょっちゅう大病し、苛めっ子
に泣かされたり、カルシウム注射の痛
さでべそをかくなど、自分が他の子供
たちより劣っているのを、子供心に自
覚していた。
 自信が無く、何をするにも引っ込み
思案であった。けれども、奇妙なプラ
イドがあった。

 苛めっ子に泣かされた時、私は内心
で毎回自分にこう言い聞かせていたの
を覚えている:
 「自分が今泣いているのは、ぶたれ
た痛さの為に苦痛に耐え切れず、泣い
ているのでは決してない。絶対にそう
ではない。やり返す力の無さの悔し
さに、男泣きしているのだ!」と。

 泣くのは英雄的な現象位に考えてい
たから、一旦泣き出すと途中やめ出来
なかった。英雄に酔いしれていたか
らで、小ニにも男の美学があったので
ある。

 他方で、医者と看護婦の前でカルシ
ウムの注射でベソをかくのは、本当に
耐えがたい激痛の為であった。だか
ら、大人との対決姿勢として「相手に
勝ちを譲ってやっても、自分のプライ
ドは傷つかず、ベソをかいても充分許
される範囲」と考えていた。
 小ニにも、勝ちを譲る謙譲の美徳が
あったのである。

 このように同じ泣くに見えても、男
の美学で泣くか、謙譲の美徳で泣く
のか、二つの挨拶を私はきっちり使い
分けていた。小ニには小ニの世界と理
屈があるものである。

 けれども、「泣く為に」先の二つの
挨拶だけでは足りなくなった。あの異
質な事件が起きたからである。山で恐
怖に駆られて尻尾を巻いて逃げ戻った
のがそれで、先の二つの挨拶のいずれ
にも分類出来なかった。

 確かに女の前でベソをかきはしなか
ったものの、逃げた行動は「泣いたも
同然」である。そうなれば、それを正
当化出来る第三の挨拶の開発が、新た
に必要になった。
 その開発したものを後日実際に実行
するようになるが、詳細は後に回して
述たい。
(つづく)

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