+++女は足が速いから、私より先に一目散に危険
から逃亡する筈だ。独り取り残された自分は、狼に
捕まって残虐に食われるばかりになる。骨が砕けて、
バキバキ鳴るに違いない。
15.小ニの知恵
帰路間違えずに、独りで戻れるかも心配であった。
今なら、未だ戻れそうだ。しかしこれ以上深く入る
ならーーー、自信が無かった。それに仮に夕方に茶
店に着いてしまうと、帰りは道が真っ暗になってし
まう。狼のうろつく帰り道を、女が親切に案内して
くれる保証は無かったから、そんな状況になったら、
私は女の前でベソをかくはめになる。状況を考える
と、私が決断すべき事態が刻々と迫っていた。
けれども未だお化けが出た訳ではないから、ただ
道が湿っぽく薄暗いというだけの理由で、好きな女
の子の前で弱音を吐くのは、流石にプライドが許さ
なかった。カルシウムの注射を巡って、医院でヤブ
医者と右腕か左かやり合うのとは訳が違う。
追い詰められた小ニが考え付く知恵は、姑息であ
る:わざと道の上に蹴躓いて、地面へ倒れ込もうか
と考えた。足を挫いた振りをするのだ。これ以上先
へ進むのは無理だという口実に使えるし、メンツを
失う事はない。何より、泣きたい程の恐怖心を、女
に悟られなくて済む。
しかしそうは言っても、大きな岩石を見つけて本
気に膝をぶつければ、痛いだけ損だし、打ち所が悪
ければ帰路で動けなくなる。そうなっては本当の一
大事である。
蹴つまずくべき石の大きさの按配が難しいし、道
は所々ぬかるんでいたから、下手に転ぶと泥だらけ
になる。泥にまみれの姿を女の前に晒すのは、余り
に醜悪である。
とうとう体の疲れと、狼の怖さと思考の深刻さに
考えあぐねて、私は突然歩くのを停止した。女が殆
ど口を利かなかったのも、私を不安にさせていた。
後方に異常を感じた女は、後ろを振り返って傍へ
戻って来た。私の顔を訝しげに眺めた。
「あと どれくらい?」 同じ質問を私は十数回以
上も繰り返していたが、これが最後の問いであった。
「もう少しーーー」
「ーーーー」
「ジュースを上げる」女は同じ手をもう一度使っ
た。
「ーーーー」こっちは、もう騙されなかった。
(つづく)
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