+++顔は綺麗だが、一皮剥けば最も邪悪な本性を隠
してあるに違いない。笑いを見せないのがその証拠
だ。そう想像すると、急に不安が募って来た。
13.黒い林
今に思えば山の七合目辺りだったか、私はようよう
の思いで登って来たが、道が二手に分かれていた。
「こっち!」と、女はぶっきら棒な声を投げた。その
道は入り口を塞ぐように大きな木が繁り、まともな道
とは見えなかった。
陰気で何となく気が滅入る感じである。一人がやっ
と歩ける程の道幅しかなく、それまでの白く乾いた明
るい道とは違い、陽が当らなくて地面が湿っぽく、黒
かった。邪悪な女がいけにえを導き入れるのに相
応しい入り口へ、いよいよやって来たなーーー、と
緊張した。
入った道は高低差が無く平坦だったから、それまで
一気に登ってきた為の息の弾みから開放されて、体は
楽になった。
先導されてニ百米ほど奥へ歩くと、緑の濃い木立が
道の両側に増えて来た。午後からの陽は全く差し込
まず、対面の別の山からの光が緩く反射していたが、
それも茂る木立にさえぎられて、道が薄暗く感じた。
山の斜面を横切るように取り付いた道で、左側は湿
った急な上への斜面で茶色の土がむき出しになって
いて、右は谷へ緩やかに下がっていた。更に奥へ進む
に連れて道近くの木々は背が高く一層うっそうとなり、濃い緑の葉がともすれば黒く見えた。
日曜日でもなければ、普段の日に山へ登る物好き
は居ないようで、登山口から一度も人に出合わなかっ
た。陽も見えず明るい海も見えず、辺りはただ静かで
耳が痛いようにしんとしていた。細い一本道を、相い
前後になって二人は黙りこくって歩いた。口を利く
と、何か良くない物が黒い林の中から出て来そうな気
配があったからである。
女の後ろを歩きながら、状況が確かにヘンだと感
じた。こんな薄暗い処に茶店など有る筈がないし、無
くて当然である。もし有るとすれば、暗いから灯りを
ともしていなければならない。しかしだからと言っ
て、ぼんやり黄色い明かりを灯した茶店が、昼の日
中(ひなか)に道の前方に本当に現れたなら、それこ
そ気が狂うほど一層ヘンである。
そんな茶店はこの世のものではないから、目にした
途端に怖さで自分は死んでしまうだろう。やっぱり私
は女に騙されているに違いない。
早く茶店が現れるのを期待しながらも、怖さの為に
永久に現れないのを願った。あれこれ考えていたら寒
気がしてきた。
独りにされるのが恐ろしくなり、急ぎ足で女へ追い
付いた。それまでにもう何十ぺん訊いた同じ質問を、
しかし辺りに聞こえないように、小声で用心しいしい
囁いた:「あと どれくらいーーー?」
しかし、それまでとは女の様子が違った。何も返事
を返さず、黙ったままなのである。しんとした静寂の
中で、こっちの声が届かなかった筈はなく、女の無言
が私を怯えさせた。黙々と前を進む女の背中へじっと
目を当てた。
美しい女は、男にとって何処か神秘的で一種の妖気
がある。返事をする為に、女がもし私の方へ顔を振り
向けたが最後ーーー、それが本当の最後なのだ。真っ
赤な口が耳まで裂けているに違いないと想像すると、
震え上がった。女へ近づき過ぎるのは反って身の危険
な気がして、本能的に数歩身を離した。
(つづく)
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