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雑感日記

北海道の2年間、    65歳 自分史 

2011年12月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★北海道、札幌での2年間。
人生何年もあるのだが、この2年間は特別だったなと思う。
生活の舞台も、生活の様式も、会社での仕事も、全て自分にとって初めての経験であった。
 
まず生活の舞台、北海道の環境、特に自然と気候は、そこに住んでみたものでないと解らないだろう。
夏の快適さは素晴らしい。夏会社でもクーラーをつけるのは7月末から8月初めの1週間だけだった。
秋の紅葉の美しさは、これもまた素晴らしい。東北もそうだが、あの赤の美しさは、関西などの紅葉とはそのレベルが全く違う。
冬の寒さ、雪の多さ、これは東北の比ではない。まさに雪国である。
その除雪のエネルギーの凄さ、このお陰で北海道川重建機の経営は、雪のない地方に比べて、数段安定しているのである。
そして春を待つ期待感は普通ではない。
 
そんな気候の中で、その大地の広さ、自然の雄大さは日本離れしている。
本土のように県が別れていないから、どこに行っても北海道である。
道内に15も支店があったから、そこに行くだけで、北海道遊覧旅行のようなものだった。
殆どを車で、飛行機を利用した時もそこからはレンタカーを自分で運転して回ったので、北海道の道は殆どの幹線道路を走ったし、休日はあちこちに自分で出かけたので、北海道の道は大袈裟に言えば殆ど走ったようなものである。
今、改めて地図を眺めてみても、幹線道路はそんなに幾つもないのである。
走っていない道があるとすれば、江刺から北の西の海岸線だけだろう。 あとは北海道の外周襟裳岬も稚内もみんな走ったことがある。そのドライブがまた快適であった。
二輪のライダーたちが北海道ツーリングに憧れる気持ちがよく解る。車は少ないし、自分のために道が用意されているような錯覚に陥るのである。
 
100キロなど大した距離ではなくなってしまう。
ドイツなどでのドライブもそうだが、100キロなどホントに30分ちょっとで行ってしまうのである。
そんなに極端でなくても100キロは1時間ちょっと見ておけば十分行ける地点なのである。
 
★そんな北海道の快適な道は、真冬でも快適に走れるようなレベルでの除雪が行われるのである。
高速道路に限らず街中の道が完璧に除雪される。これは全て器械、除雪機によるのである。
従って、その除雪の邪魔にならぬようにと、札幌市内の駐車違反は厳しく取締りが行われるのである。
二輪車の安全運転本部長を永くやっていた関係で、本庁の警察の方とはお付き合いもあったし、警察がやろうとしていることはよく解っていた。
 
そんな3月のある日、市内に車を止めたのである。除雪の邪魔にならぬように、ちゃんと気を配って、間違いなく除雪の邪魔にならぬことを確かめて車を止めたのである。
戻ってきたら車がナイ。駐車違反でレッカーで持ち去られてしまったのである。
違反切符を持って本庁に出頭した。駐車違反は間違いなく駐車違反だから仕方がナイ。だけど何故除雪の邪魔にはならない車をレッカーで持ち去ってしまったのか?
考えてみると盗人猛々しい言い分だが、言っているうちに、警察の答弁がもう一つはっきりしなくて、だんだん腹が立って、最後にはアタマに血が上って、
『アタマにまで来たな』と思った瞬間に、『くも膜下出血』で倒れて意識不明になってしまったのである。
 
警察もビックリしたに違いない。直ぐ救急車が来て今度気が付いたのは、救急車の中だったのである。
『くも膜下』と言っている隊員さんの声を聞いて、『これで死んだな』と極めて冷静にそう思った。
まだどこの誰とも解っていなかったのである。『連絡先は?』と言われるので、これは家内ではダメだと思って、手帳から息子の住所に電話をするように頼んだのである。
そのまま病院に運び込まれたのだが、その病院は脳外科の先生が30人近くもいる日本で最初の脳外科の専門病院 『中村記念病院』だったのである。
 
 この病院、全て脳外科なのである。
運が良かったのだと思う。
倒れた場所が警察だったので、直ぐ救急車が来た。よく解らぬが倒れて15分ぐらいで病院にいたのだと思う。
病院に着いてからの1週間ほどはあまり記憶がナイ。
聞いた話だが、
切れたところが手術の難しいところだったので、『何もせずに放っておくことを会議で決められたそうである』
だから、集中治療室にはいたが、特に何もしていないのだと思う。
3月14日に入院して、10日間ほど集中治療室にいて、その後、最上階の快適な個室に移って、4月28日に退院をした。
1ヶ月半の入院だったのである。
 
★2年間の北海道の勤務だったが、2か月ほどは会社を休んだのである。
不思議なほどの回復ぶりで、この夏にはゴルフもしているし、会社も同じように出て、同じように仕事をした。
病院の先生とも仲良くなっていろいろお聞きした。
『うちだから何もせずに放っておいたが、普通の病院なら間違いなく手術だな』と言われていた。
事実、神戸の病院に写真を見せたら『今からでも手術した方がいい』などと言われてビックリした。
翌年の6月に退職したのだが、それから約2年、3ヶ月毎に札幌の中村記念病院まで、事後の診察に通っていた。
 
病院の治療が良かったのか、人間には自然治癒力があるのか? 
 
★会社などで、私は怒ったりしたことはない。
だから、会社の人たちは『あんた怒ったりするのか?』などと不思議がるのだが、元々気が短くて怒りっぽいのである。
旧制中学の3年間と高校1年の計4年間、野球部の最下級生を経験して、辛抱することの訓練は出来て、性格が少し変わったのである。
ただ、権力のある人が、それをタテにものを言ったりすると、我慢が出来なくなるのである。
 
でも、『くも膜下出血』を経験して以来、誰にでも『怒ったらダメですよ、あまり怒るとくも膜下になりますよ』ということにしているのである。
65歳の時だから、もう13年にもなる。
今はいたって健康である。 ひとの命など運だと思うようになったのは、こんな経験があるからである。
こんな病院は、少なくとも関西では聞いたことも見たこともない。
 
札幌に行っていなければ、こんなことが起こらなかったのかどうか?
それすらも解らない。
現役の終りの頃、ちょっとふらふらして、真っすぐ歩けないようなこともあった。
そのまま関西にいても、おかしくなってどうにかなったのかもしれない。
関西でなっていたら、間違いなく手術である。 その手術が成功するかどうかは運である。
 
そんなことで、誠に『運のいい人生だ』と思うようにしているのである。
 
★こんな事があったものだから、それからの1年間、家内が三木からしょっちゅう札幌に来るようになった。
来るたびに、あちこち北海道中を連れ回った。
だから、余計に北海道のあちこちを知っている。
 
2年目の最後は札幌から稚内まで更に東側を通って知床そして釧路から札幌ととても本土の人では行けないルートを回ったりしているのである。
もう一度、行ってみたいところもいろいろあるが、あの頃のように頑張って運転出来るだろうか?
病後だったが、大丈夫元気だったのである。
 
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