にいたかやま

加納百合「福原遥」様 

2024年01月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

前略
その後、現世の生活はいかがですか?
過去世から輪廻転生し、慈悲深い乙女になられましたか。

お母さまと教師との三者進路面談の日、食品スーパーでの臭いを気にされながら、高校生の愛娘のために、パートの都合をつけ、駆け付けたお母さまに対して、「わたし、帰る」と席をけり、真摯に向き合おうとしない反抗的態度。クラスメート間でも孤立無援。
子供を助けて身代わりに死亡された教師の父親に対しても、敬うどころか、反抗的・批判的態度を止めない。
家出して、防空壕で夜を過ごし、1945年6月10日の鹿児島知覧にタイムスリップ。

過去世で特攻隊員である佐久間彰に遭遇、助けられ彼らの世話をする鶴屋食堂のツルを紹介され、住み込み店員となる。店に魚等を卸てる千代の思い人も特攻の石丸。
百合様もユリの花咲く丘で、彰様とデートを重ねられ、いよいよ出撃日、動き出す戦闘機の彰と叫びながら走る百合、それを見守るユリの花。
この光景は、劇場での鑑賞者、これからの鑑賞者、すべての脳裏に永遠に銘記されるもの。

「ユリの花言葉『純潔・威厳・無垢』とありますが、我が子を授かり、これにちなむ命名をされた親御様諸氏も、ユリの花のように気高く美しくあれと念じました。福原遥様の大先輩のY.小百合、東京都庁のK.百合子。
全国のユリ様に幸多からんことお祈り申し上げます。
小生は紫陽花の丘と水仙の丘の思い出はあるのですが、ユリのそれはまだなので、鹿児島の知覧と静岡県袋井市の加睡ゆりの園に是非お邪魔したいと思います。
小生の父親は太平洋戦争の帰還兵で、産めや増やせの時代に鑑みて、男なら欲しいと小生を誕生させたと、伺っております。彼が申しておりました。体験者が存命中は、戦争はしないだろうと申しておりました。
1922,3年生まれの、いわゆる学徒出陣・特攻隊世代の百歳以上の世代は、九万名位御存命だそうですが日々来世に旅立って逝かれます。
この様な時に、映画の盛況とスクリーン前の多くの若い群像は、平和を継承されようとしてる現象だと、切に思います」



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