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雑感日記
私の日記から 1955・1956年(昭和30・31年)
2023年10月17日
テーマ:テーマ無し
★ 1955年は大学3回生である。 この年あたりは振り返ってみると大変な年だったように思う。 この年の4月に伯父が脳溢血で倒れている。★ 3年前の1月2日に長年寝ていた父が亡くなって、 それまでは私は高校卒業したら就職するつもりだったのだが、 伯父が『父の治療費が要らなくなったから大学を受けろ』というのである。 父は私を大学にやるために1月2日に死んでしまったのかも知れない。 それより遅かったら大学入試を受ける機会がなかったのである。 父と伯父は本当に仲のいい兄弟で、父が病気で寝ていたころは多分今の保険もなかったのだろう。 治療に要るマイシンの注射が1本2000円もしたのだが、 その費用を伯父は上ノ丸の土地を売ってずっと治療代に充ててくれていたのである。 まだ土地ブームなどは起こっていない時代で、 後には1坪100万円もした上ノ丸の土地が一坪2000円の頃で、 かっては2000坪もあった上ノ丸の土地が半分になってしまっていたのである。★ 伯父は戦前は祖父が創った朝鮮の電力会社を引き継いで、 確か当時は日本で一番大きかった南鮮合同電力の副社長をしていた財界人だったのだが、 戦後は朝鮮の資産はすべて失って、 我が家も朝鮮から引き揚げてきたし、大変だったのだと思う。 これはまだ戦前の頃の写真だが、 当時にこんな服装をしていたのである。 左が伯父で右が父である。 そんな伯父が脳溢血で倒れて 5月には他界してしまうのである。 私自身は肺浸潤を患っていたし、 いま思い返しても大変な環境だったと思うのだが、 私は病気の体で野球は続けているのだが、とうとう空洞も出来てしまって、 翌年の4回生の時には、伯父の葬儀の時に来て頂いて 『卒業してほかに行くところがなかったら、うちにいらっしゃい』と言って頂いていた、 川崎航空機の当時の副社長の砂野仁さんも、 今年は不景気で人も取らないから、もう1年卒業を延ばしたらと 仰るし、 私も体調がもう一つなので1年卒業延ばすことにしたのである。★ 1年卒業を延ばしたのだが、 すでに単位だけは取れていて、新たに単位を取る必要もなく この年の4月に野球部の部長だった田中教授から『野球部の監督』を依頼されて、それを引き受けることになったのである。 振り返って考えてみると、呑気なものである。 ちょっと自分の体調もおかしいから卒業を延ばしたのに 野球部の監督を引き受けて、結構ちゃんとやっている。 お陰で秋のリーグには近大に次い2位になったし、 小山修身投手は当時の学生野球記録53イニング連続無失点を記録している。 どうも私は人に頼まれたら断れなくて、 自分のことよりそれを優先してしまうのである。 そんなことはその後も一生続いている。★ ただ人には運があると思うのだが、 『私はホントにツイている』と思っている。 前年までは極度の就職難の時代だったが、 この年は一転「神武景気」になって、各社とも大量な人を取ったのである。 川崎航空機工業も多くの新入社員を採ったし、 私も砂野さんコネだったか問題なく入社出来たのである。 これが入社試験の一つ、英語で ちゃんと訳せたのかどうかはよく覚えていないが、 すぐに 『合格』という電報が届いたし、 こんな正式の採用通知書が届いている。 こんなものがあったとはすっか忘れいたのだが、 今回、日記を読み返していたら出てきたのである。 こんなこと私の学生生活は終わるのだが、 振り返ってみると、 小学生時代は卒業時に知事賞に当たる『京城府伊賞』を頂いたし、 名門・神戸一中でも2年生まではずっと10番以内にいた。 それが3年生の時に、男女共学になって県一女と一緒になるのだが、 英語や数学が1年以上逆戻りして、 勉強する必要がなくなってしまったし、 高校は学区制で明石高校に転校したら、ここでもまた戻ってしまって それ以来は学生時代に『勉強した』記憶はなく、 野球一筋の学生生活だったのである。★ そんなこともあって、川崎航空機の入社試験の面接では 『君は成績悪いね』という一言から始まるのだが、 何の物怖じもせずに「会社の仕事なら人に負けずにやれると思います」と 堂々と言ってのけたのだが、何となくそんな自信はあったのだと思う。 神戸一中には実は砂野仁さんの勧めで入学していて、 砂野さんは当時の私の成績はご存じなので、『此奴はアタマは悪くない』と思っておられたのだと思う。 面接時にも『ところで君は野球をやってたな』と話題を切り替えて頂いたのである。 まあいろいろあったのだが 一言で言うと『ツイていた』と言える2年間だったと思う。 若し、無理して卒業していたら、 カワサキ以外の会社に勤めることになっていたのである。 どちらがよかったかは解らぬが、 カワサキの40年間も、普通のサラリーマンとは全く異なり、 ホントに面白かったのである。
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