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「隊長官舎」と「牛込憲兵分隊陸軍境界石」 

2023年10月06日 外部ブログ記事
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10月10日に東京保険生活協同組合の方々を「新宿区平和マップ」の四谷・青山・戸山コースをガイドしますので、軍医中将石井四郎自宅や軍医学校跡地から出土した人骨等のガイド資料を整理しています。
2018年12月12日のBlog記事>731部隊長石井四郎、日本特殊工業葛{本光一の所有土地について<の中で、門前教三氏の論考をアップします。
新宿区若松町について旧土地台帳と閉鎖登記簿によれば、石井四郎の旧宅(地番若松町77−7番地 現住所若松町22-30)は宮本光一が昭和9年7月3日入手した。そして宮本光一から昭和34年7月27日に石井誠一に売却されている。石井誠一は石井四郎の長男である。宮本光一が入手した時点の土地の面積は180.74坪である。同77−7番地の「火災保険特殊図昭和12年10月5日発行」には石井四郎名の住宅が記載されている。ということは、宮本光の坪数と、火災保険特殊図を見れば、RC造のかなり大きな建物であったことが推定される。ということは同土地を宮本光一が石井四郎に貸し、石井四郎が建物を建築したことになるのか。石井四郎名義の建物閉鎖謄本は発見できなかった。石井四郎名義の同77−21番の土地は同77−7番地の敷地延長道路部分として昭和29年2月26日に石井四郎が取得している。これは石井四郎が亡くなる10か月前のことである。袋地の建物を保全するための登記と思われる。77-21土地と77-7土地の前所有者は同一人である。この延長道路はかなり長く、大久保通りに接続する。旧土地台帳によれば、地番若松町55−1番の土地(現住所若松町28-3)を宮本光一は昭和9年6月7日に178坪を取得している。これは若松町の当時の電車道の北側である。「火災保険特殊図昭和12年10月5日発行」にも、日本特殊工業鰍フ建物記載がある。この土地は日本特殊工業鰍フ事務所であったと推定される。友人の母上がいう社宅と思われる土地は、探し出すことができなかった。
旧土地台帳


関連するblog記事>エッセイ 「寒天のお話  ――母の731オーラルヒストリ――」 中川三郎<
自衛隊衛生学校内の「彰古館」に展示してある「医療用石井式濾水機(甲)」



石井四郎は好色遊蕩の軍人のようです。「医療用石井式濾水機」の製造メーカーである「日本特殊工業」からの贈収賄疑惑で憲兵に取り調べを受けたました。そのきっかけは神楽坂三業地での豪遊であったそうです。
画像を整理していたら2010年5月8日に撮影した「牛込憲兵分隊陸軍境界石」が出てきました。本日は、東京女子医大病院消化器センター井上雄志先生の下部内視鏡検査日だったので、「牛込憲兵分隊陸軍境界石」を撮影してきました。

後に見える「ゴルフ練習場」は、日本特殊工業の土地が戦後「公和タクシー」となり、その後は「公和ゴルフ練習場」に、現在は「ライフ若松河田駅前店」となっています。



ライフ若松河田駅前店と陸軍境界石が右と左側にあるビル。

右側の境界石(陸軍の文字は見えない)


左側の境界石


自動販売機は、いまも「BOSS」だった。

(了)
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