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靖国神社・遊就館展示室「靖国の神々1〜4」の遺影 

2023年09月21日 外部ブログ記事
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昨日は、戦死した父親を知らない弁護士故小山久子さんのことを記事にしました。父親がレイテ島で戦死したのは、1944年12月、彼女が生まれる4ヵ月も前でした。だから「私も父のことをまったく知らないし、父も私が生まれたことすら知らない。心が通いようがない関係だった」
新宿区市谷薬王寺町に住んでいた頃、しんぶん赤旗日曜版読者だった女性の方が、管理人が靖国神社ガイドをしていることから次のようなお話をされました。
「父は私が母のお腹にいたときに、南方の海で戦死したので父の顔は知らない。お墓には戦死公報の紙切れしか納まっていないので、靖国神社に来ると戦友たちと一緒にいる父に会える」と言われ、お父さんの遺影を靖国神社・遊就館展示室16・17・18・19【靖国の神々1 ・2・3・4】壁面の遺影展示に申し込まれました。費用は2万円だったそうです。当時は約5千人でしたが申込者が多くなったので、遺影写真を小さくし、展示壁面を増やしたので1万人となりました。A級戦犯の遺影は木村兵太郎陸軍大将、永野修身海軍大将、東条英機陸軍大将のみです。A級・BC級戦犯は「法務死」としています。



「松代大本営を保存する会」が2001年4月に主催した一橋大学教授吉田裕氏の講演内容を基にガイドしています。『靖国神社は、その施設自体が「忠君愛国」思想を国民に植えつけるための国民教育の「場」という性格を色濃く持っています。この性格は、かなり薄められたとはいえ、戦後も基本的には変わつていません。付属の軍事博物館である遊就館は明治維新以来77年間の日本戦争史を正しかった、悪いのは中国だ、アメリカだと云う立場での展示です。したがって、見学にあたつては、常に批判的な精神が求められることになります。しかし、この批判的精神さえ、しつかりしていれば、戦争の時代を追体験するという意味でも、多様な歴史教材を豊富に提供してくれるという意味でも、靖国神社は、とても興味深い空間です。境内には、戦死者の遺影などを前にして涙ぐむ老夫婦や亡き父に会えると手を合わせる息子、娘などの姿が、そこかしこにみられ多くの遺族にとつて追悼の場となつています。』
静かな佇まいの中で参拝することがご遺族の本当のお気持ちであり、総理大臣の参拝や軍服を着飾り進軍ラッパが鳴り響く喧噪の靖国神社を望んでいないと考えています。
亡父は、1937年9月第九師団第九輜重連隊輜重兵として応召し、上海・蘇州・南京・徐州を転戦しました。3月生れの管理人は、もしも父が戦死をしたならば「靖国の遺児」となっていたと思われます。遊就館展示室「招魂齋庭」に、茣蓙の上に並んでいる遺族の写真がありますが、その中の母子を自分に置き換えています。

靖国神社を歌った歌謡曲は沢山ありますが、父親を歌っているので一番好きな曲です。
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逢いに来ましたお父さん・・・三宅広一 昭和33年(詩・野村俊夫/曲・船村徹)
 母さん作った 日の丸べんとう 一人たべたべ 汽車の旅 夢でみていた 東京の町を 地図をたよりに 九段まで 逢いに来ました お父さん 泣き泣き拝んだ 靖国神社 合わす両手に 桜散る 待っていたよの たゞ一言を 聞いてみたさに はるばると 逢いに来ました お父さん お別れした時ゃ 乳呑児だった 丁度あれから 十五年 つらい淋しい 片親そだち 故郷(くに)のはなしを お土産に 逢いにきました お父さん
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(完)
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