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《ちひろvol.5》いわさきちひろ旧居「大連市松山町東洋拓殖会社社宅」 

2023年09月14日 外部ブログ記事
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日本は下関条約によって清国から台湾や澎湖諸島(列島)を割譲させ、賠償金3億6450万円(2億3000万両)を得ました。1892(明治25)年の国家予算が8661万7931円(財務省主計局発行『財務統計』)であったことをみれば、いかに莫大であったかわかります。三国干渉によって遼東半島を返還することは「臥薪嘗胆」である。陸軍幼年学校制服の袖章は遼東半島を現わしていた(偕行文庫室長の話)。日露戦争後のポーツマス条約によって日本は、「三国干渉」で清国に返還した旅順・大連を含む遼東半島南端の関東州を租借し、関東都督府(統治機関)を設置します。また、同条約の追加約款(「満州ニ於ケル各自ノ鉄道線路ヲ保護セムカ為守備兵ヲ置クノ権利ヲ留保ス該守備兵ノ数ハ―キロメートル毎ニ十五名ヲ超過スルコトヲ得ス」)によって1万400人の関東都督府陸軍部独立守備隊を配置、その後 、1919(大正8)年に関東軍司令部が大連に創設されます(『戦史叢書・関東軍1』朝雲新聞社)。
(山海関より西側を「関内」と称し、東側の満洲を「関東」もしくは「関外」という。かつて日本の租借地であった関東州や、そこに駐留した関東軍の名称もこれに由来する。)
大連港で説明をする弁護士平山知子さん


映画監督山田洋次さんの旧居(現在は開発で壊されていると思われます)


関東軍司令部跡(満州国新京に移転)

いわさきちひろ夫妻の旧居(松山町東洋拓殖会社社宅跡)



中国ダークツアーの企画案を富士国際旅行社社長太田正一氏に提案
平山知子著「若きちひろへの旅」で訪ねる中国東北部「若きちひろの旅」vol.1
平山知子著「若きちひろへの旅」で訪ねる中国東北部「若きちひろの旅」《vol.2》
《ちひろvol.3》大連市遼寧師範大学芸術学院美術系美術館で「いわさきちひろ展」を開催
《ちひろvol.4》「大連鉄道工場のアジア号」
(続く)

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