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最新技術を駆使した明治大帝のモニュメント 呪術性が隠された神宮外苑の誕生 

2023年09月13日 外部ブログ記事
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  呪術性が隠された外苑の誕生
 明治神宮が明治天皇・皇后を祀る内苑であるのに対して、その偉業を記念するメモリアル・センターとして造られたのが神宮外苑です。神宮外苑は、明治天皇の大喪が行なわれた青山練兵場跡に造られました。内苑が国費で和風庭園として造られたのに対して、外苑は民間の献金により洋風庭園として設計されています。やはり外苑も当時の最新の技術により造られました。外苑には、葬場殿址記念建造物、聖徳記念絵画館、憲法記念館、競技場などを造ることが決まります。? 明治天皇を記念するという点で、もつとも重要な葬場殿址記念建造物と聖徳記念絵画館の設計デザインは一般公募されることになります。応募一五六点の中から原宿の小林正紹が当選、この案を修正して建てられたのが現在に残る絵画館です。当時としてはモダンな鉄筋コンクリート造りで、大正八年(一九一九)から七年をかけて完成しました。内部には、当時の一流の画家による“明治天皇一代記”が八〇点の日本画・油絵とともに描かれ展示されています。またこの建物には、やはり当時最高の新技術が使われていました。@絵画を美しくみせるための頂光からの照明装置。A絵画の湿気を防止するヒーターによる防湿装置。B室内の温度を調整する空調装置。特に@は絵画のパノラマの立体的な採光法を意識していたと思います(口絵の一六頁を参照)。葬場殿址記念建造物の方は、明治天皇の大喪のおり、遺体を乗せた轜車を安置した場所を永遠に記念するために記念碑や記念塔などの建造物が計画されましたが、公募作品の中に優秀案もなく、建造物で霊域を記念するのは不適当となり結局建設されませんでした。恐らく明治天皇の「死体」を連想させるようなものを造るのはよくないと考えられたのだと思います。結局、絵画館の真裏の葬場殿址記念建造物の予定地には、直径八・五間(一七メ―トル)の円墳状の盛土の上に楠の樹が植えられました。? 憲法記念館は、もと赤坂御所の別殿で、仮皇居時代の御会食所でした。大日本帝国憲法や皇室典範の会議を開き制定した由緒ある場所で、後、伊藤博文に下賜されますが、遺族が明治神宮奉賛会に献納し、外苑造営により現在地に移築されます。現在は、明治記念館の名で結婚式場になっています。? 陸上競技場は、明治天皇が質実剛健の気風を奨励していたことを記念するために造られ、広さは一万坪で現在の国立競技場に発展します。そのほか、野球場(現、神宮球場)と相撲場(現、第二球場の地)の建設も進められ、昭和五年(一九三〇)からは水泳場の工事も開始され今日のようなスポーツ施設が集中する公園となっていきます。? 実は、外苑にも内苑に負けない宗教的世界観が隠されています。現在の諸施設の配置を見ると、葬場殿堆、絵画館、広場、大並木道が北から南へ一直線に並んでいます(五九頁の図を参照〕。その中心は明治天皇の遺体を安置した葬場殿址とその前の絵画館です。この配置はちょうど神社の本殿と拝殿を思わせます。絵画館前は、現在、野球場やテニス・コートになっていますが、もともとは広大な芝生広場で、ここは神社でいえば前庭、大並木道は参道に当たります。蛇足ですが、この直線の先には、青山墓地があり、明治天皇の死に殉じた乃木希典夫妻の墓石が外苑の方向を向いて立っています。また絵画館に向かって正面右には明治天皇の“政治”を象徴する憲法記念館(現・明治記念館〕、左には同天皇の質実剛健の“身体”を象徴するスポーッ施設を配しています。さしずめ神社でいえば、右が神楽殿、左がサーカスや見世物小屋や露店で賑わう祝祭空間に相当するのではないかと思います。一見すると、モダンな西洋式公園にみえる神宮外苑も、その本質は明治天皇の葬送を行なった宗教空間であり、日本の伝統的な神社仏閣の空間構造と変わりがないと思います。? さらに重要なことは、明治神宮と外苑をセットで見たときに、外苑に隠された呪術性がよりいっそう明らかになります。? @明治神宮(内苑)は、古来の伝統的な神社の森をもつ日本庭園なのに対して、外苑は西洋建築を中心とする西洋式庭園とした。A植栽法は、神宮は神社本殿の付近を濃く鬱蒼とさせたのに対して、外苑は絵画館前の大芝生広場を中心として中央は薄く、じょじょに同心円状に外側に濃密とした。B樹種も神宮はシイ、カシ、クスなどの常緑広葉樹の陰樹が中心なのに対して、外苑はイチョウなどの落葉樹を多くした。
  聖なる空間を地上に写す
 このように神宮と外苑は、陰と陽、和と洋、荘厳と開放、復古的とモダニズム、求心と拡散 といった具合いに、対照的に造られています。そして、両者は裏参道によって結ばれており、表裏一体となっているわけです。神宮の社殿が南面していることは先に触れましたが、外苑の聖なるライン(葬場殿祉→絵画館→大並木道)も南面しています(女子学習院と陸軍大学校が大並木道の左右にあるため正確には軸線は西に三〇度ふれている)。外苑でも“天子南面”の思想は貫徹していたことになります。京都御所、伊勢神宮(内宮)、日光東照宮、いずれも北を背にして南面しています。北は天の中心で不動の北極星のいる聖なる空間です。それを地上に写した場所が帝都東京の明治神宮とその外苑であり、それぞれが、天皇霊のための「宮殿」と「庭園」に当てはめられるのではないでしょうか。? 現在の神宮は日本最多の参拝者を集め、片や外苑は日本のスポーツ・イベントのメッカとして多くの人びとに知られる存在になっています。しかし、帝都の歴史とともに歩んできたふたつの聖地の意味は忘れられています。明治神宮が、大正時代に明治天皇を祀るために造られた新しい神社であること、外苑が明治天皇の葬場に造られたメモリアル・パークであることも、現在知る人はほとんどいないと思います。しかし、神宮に隣接する渋谷や原宿、外苑近くの青山や六本木は、東京の新しい盛り場として賑わっています。? 帝都の深層の記憶がどこかで生き続けているのかもしれませんね。?
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(完)

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