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雑感日記

カワサキ単車の昔話  16    モトクロス創生期と星野一義 

2023年09月04日 外部ブログ記事
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★ カワサキのモトクロスの写真で、一番旧いのはコレかも知れない。 カワサキコンバット時代の写真だが、 右から梅津次郎・岡部能夫・山本隆・歳森康師・三橋実・安良岡健、 その次に写っているのが「星野一義」である。 多分まだ18歳の頃だと思う。  ノービスだったが、滅茶苦茶早くて走れば優勝だった時代である。 この写真は私が手元にあったので送ったのだが、 このように使って頂いた。  そんな若い時代カワサキにいたのだが、 今では『日本一速い男』と言われて こんなレース雑誌に特集が載ったりする。     こんな雑誌の最新の9月1日発売号だが我が家にこんなにいっぱい送っていただいた。 鈴木忠さん、小島松久、吉村太一、 みんな星野一義とおんなじ時代だが、 当時はまだMCFAJのいクラブマンレースも盛んにおこなわれていて、 各クラブ間の交流もあり仲が良かったし、 私などでもみんなよく知ってて今でも繋がっている。    今回のは四輪よりも若い時代の星野一義が紹介されていて、 『日本一やばい男』と称されて特集されている。 私も初めて聞くような子供のころからの話もいっぱい載っている。★ 星野がカワサキにいたのは1965年以降なのだが、  静岡から関西にやってきて、山本隆・歳森康師とともに  神戸木の実クラブに所属していた。  山本隆さんが、星野のモトクロスのお師匠さんだし、  先に日産の四輪に移った歳森康師の誘いで四輪の世界に移ったのである。      これはもう二輪時代の最後のほうだが、 札幌の手稲オリンピアの第5回日本GP の写真だが、 先頭から、吉村太一・山本隆・星野一義・木村夏也と 私もよく知っているライダーたちが並んで懐かしい。     私がレースの担当時代は1966年までで、 このころはすでに仙台の営業第1線に異動していたのだが、 この時は仙台から札幌まで車を飛ばして レースを観に行ったのである。 確かこのレースも山本隆か星野一義の優勝で吉村太一ちゃんと3人で 上位3位までを占めたレースだったと思う。★昨年11月にあった「カワサキZ50周年祭」には、 星野もわざわざ明石まで来てくれて、 昔の仲間たちとの再会を喜んだのである。 私にとっても「昔の仲間」との再会でもあった。       一番最初の星野一義との契約は私が担当したのだが、 まだ18歳の星野だったが、毎月2万円、年額24万円だったのである。  今では超有名人になっているのだが  全然気取らずに『昔のままの星野』がそこにいて本当によかった。   ★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです。

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