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慶喜

「西の靖国神社」「朕」「爾臣民」「国家神道」 

2023年08月24日 外部ブログ記事
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?三韓征伐を再現せよ(神裔たちの日清・日露戦争)7?「西の靖国神社」の存在 ☆「西の靖国神社」が発見された *大阪府藤井寺市にある伴林氏神社である *祭神はすべて大伴氏の祖先にあたる ☆「軍人の祖神」を祀る神社として再発見された *「西の靖国神社」「関西の靖国神社」と大いに喧伝された *広大な社域を誇る府社に昇格した?明治政府は、臣下と皇族はわけるべしとした ☆「古事記」等より、臣下と皇族はわけるべしを図式化すると *明治天皇=神武天皇 *皇后美子=神功皇后 *北白川宮能久親王=ヤマトタケル *日本軍将兵=アメノオシヒ(大伴氏) *古代(神話)と近代を等式化できる ☆日本では易姓革命が起こらなかった理由 *万世一系の皇統が保たれてきたからだ *こういう物語を維持するためには *能久親王や永久王は靖国神社に合祀されるわけにはいかない ☆戦後になって能久親王や永久王が合祀された理由 *台湾神宮や蒙彊神社など外地の神社 *靖国神社に特別に合祀されることになった *臣下と一緒くたにならないように、特別な配慮がなされた ☆靖国神社は、現在臣下の祭神の一座、皇族の祭神の一座の二座がある ☆教育勅語でも「朕」と「爾臣民」区別されている *「皇祖皇宗」と「爾祖先」 *これこそ、大日本帝国の価値観だったのである *戦意高揚になればなんでもいいというわけではなかった?「爾臣民(なんじしんみん)」の意味 ☆「臣民」は旧憲法で天皇・皇族以外の者を指す ☆ 終戦の詔書には、天皇が国民に直接語りかけることを意識したためか   ☆「爾臣民」という言葉が5回使われている ☆難しい漢語や文語体のため *全体として意味が分かった人は少なかった?「下からの参加」としてのプロパガンダ ☆「祖先より代々」の物語は、政府や軍部から強制されただけではない ☆戦前の神道はしばしば国家神道と呼ばれる *政府が神社を管理して、国民を教化・煽動する *プロパガンダをほしいままにしていたといぅイメージがある ☆最近ではそのイメージは一面的と指摘されるようになっている *神道行政もけっして一貫性をもっていなかった ☆神社を監督する官庁は明治時代だけで *神祗官、神祗省、教部省、内務省社寺局、内務省神社局と変化した ☆神職も明治なかばまでに、ほとんど官吏ではなくなってしまった *府県社以下の諸社には、国家の保護はなきに等しい状態だった *国家神道ということばも、戦前ほとんど使われていなかった ☆「国家神道」の言葉、大東亜戦争の敗戦後 *GHQが発した神道指令によって広まったものだった ☆神功皇后をうたった軍歌やヤマトタケルとの比較は *民間から率先して出されてきた ☆「上からの統制」だけではなく「下からの参加」にも注目も必要だ *プロパガンダは、政府や軍部が発するだけでは十分な効果を発揮できない *そこに便乗する企業や、軍国美談を消費する民衆の自発性を必要とする *神話に関しても同様の事が言える                   (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『「戦前」の正体』                          (国家神道)「西の靖国神社」「朕」「爾臣民」「国家神道」(ネットより画像引用)

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