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慶喜

「中華思想」「アヘン戦争」「海へ出る中国」 

2023年05月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?「広い海」が欲しい.中国の地政学1?中国から見た世界 ☆中国は、内陸も支配し太平洋に打ってでたい ☆中国が今の形になるまでには長い歴史がある *群雄割拠の春秋・戦国時代、秦の始皇帝が天下統一 *その後、漢民族が主として中国大陸を支配しつづけた ☆漢民族による「中華思想」とは *自分たちは周辺の異民族よりはるかに優れていると考え *中国が世界の文化、政治の中心であり *他に優越している考える中華思想を元に *漢民族は周辺の異民族に対して上下関係を明確にする *冊封・朝貢体制を作り上げた ☆冊封とは *周辺民族から朝貢を受け、国王の称号や印綬を与える *周辺の異民族は漢民族に服属するという意味合いをもたせた ☆その後、中国は王朝が「争っては滅亡する」歴史を繰り返す *17世紀中ごろ明朝滅亡戦争で漢民族の明朝は滅亡した ☆満州人を中心とした清が興る *清による轄領、朝貢国等を含めた勢力 *ロシア国境付近の黒竜江流域から *朝鮮、琉球、台湾、ベトナム、タイ、チベット等にまで及んだ *スベイン、オランダ、イギリス等との交易も盛んに行われた *銀が大量流入したことで清は、経済的繁栄も得た ☆清の勢力の広がりより考えると *清の皇帝がまず制圧したかったのは内陸部だった *内陸部以外の国々 (朝鮮、琉球、台湾、ベトナム等沿岸部等、台湾を除いては朝貢国) *強い影響を及ぼす直轄領や問接続治領は、内陸へと広がっている ☆その後、中国は西欧列強による半植民地時代 *日清戦争、辛亥革命、第一次、第二次世界大戦などを経て *現在の中国の形となる?アヘン戦争(イギリスに敗れ、香港を割譲) ☆明の滅亡後、周辺の異民族までも影響下に置いていた清 ☆欧米列強の勢いなど関係ないかのようだった ☆18世紀半ばにイギリスの東インド会社による *中国貿易激増したあたりから、雲行きが怪しくなってくる ☆イギリスは、自国の工業製品をより多く売りつけるために *中国との自由貿易を求めていた *中華思想で、他国から「朝貢」されることに慣れきった清 *強硬姿勢で、貿易に設けた制限を広げようとしなかった ☆アヘン戦争とは *イギリスと清の間で勃発し2年間続いた戦争 ☆背景に、アジアに 大拠点を築きたいイギリスの野心があった *物資が豊かな清は輸入の必要があまりなく *その清を相手に継続的にうまい商売をするには *清国民を麻薬中毒にしてしまうくらいしか方法がなかった ☆清にアヘンの輸入量を増やすことで *清全土の市場を開放させ、重要な貿易港へ *自由なアクセスを手に入れることがイギリスの狙いだ *アヘンの輸出は、そのための布石だった?太平洋二分論(海へ出る中国) ☆中国の統治者には、大きな意識変革が起こった *これからは内陸ではなく海に打って出る方針へ変化した *中国は、かってのイギリスと今のアメリカが *海洋国家で世界覇権をとったように、内陸国家の性格を変えて *今こそ海へと進出し、覇権国家になろうとしている ☆習近平は、海に打って出た初の国家主席といえる *中国という内陸国家を海洋国家へとシフトさせようとしている ☆島国である日本にとっても *周囲の海の帰属問題、国家の安全保保障に直結する ☆日本を取り囲む海の帰属問題がどう動くか *日本のリーダーが動かしていくかを、注視しなければならない ☆中国の歴史を見ると *今どうしても海へと進出したい中国なりの事情が見えてくる                     (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『新地政学』「中華思想」「アヘン戦争」「海へ出る中国」(『新地政学』記事他より画像引用)

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