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慶喜

死を遠いところに置く(最終回) 

2023年01月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?死と再生(最終回)?大病から生還した私 ☆筆者は十数年前に、大病を患いました *初めは病名もわからなかったのですが後から考えると *ストレスが影響していたのかと思う ☆入院前の身体が弱っていた状態と比べると *大病した後は疲れにくく、逆に体力がついたという感じがある ☆入院していたとき麻原彰晃の裁判が終わました *この事件に世の中がけじめをつけることになるだろうと感じました?筆者の大病を通しての再生 ☆退院してしばらくすると、私の状況は変わっていました *判決が出るに当たって事前取材ということで *全国紙すべての新聞社が私のもとに来たことです *それまでの筆者は、マスコミにとって「扱いづらい」存在だった ☆筆者の人生は大病後に大きく変わった *大学を辞め8年が経っていました *その間には、まったく仕事がない時期もありました *自分の力で変わったのかよくわからないのですが *そういう流れみたいなものがあったように思います *流れが悪いときは、どうしようもないのです *バッシングを受けたころの筆者は *世の中から受けた批判を簡単にはねつける傾向が強かった *いまから思えば若かったということが言えます ☆その後、世の中が落ち着いてきて *筆者自身の対応も冷静なものになっていきました *大病をする前に、オウムの事件を総括した *『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を書いていたことが *大きくものを言いました ☆筆者には病気に打ち勝つだけの若さと体力が残されていた *生死の境をさまよったことで *何か自分のなかで生まれたものがありました *老成したのかとも思います ☆病気が深刻なものだっただけに *筆者は一度死んだようなものだという想いもあります *あのとき命を落としていたら、と思うと生き返った気分です *いまは、病をむやみに恐れることもしません *しかし自分の体を用心するようになりました ☆大病を経験したことで、精神的にも強くなった気がします ☆入院の40日間は、筆者にとって「再生」の転機だったのです?現代の「死」について考える ☆筆者の場合こうした大病をしたことで *死をはっきりと意識するという体験がありました ☆今の社会においては、死は身近なものではなくなっています *死に対する恐れが抽象的なものになってきている *戦争もありませんし、飢えもない、医療も発達している *死が迫っている感覚が薄らぐのは当たり前です ☆だからといって死への恐れがなくなるわけではない *「死が身近にあるときの、死に対する恐れ」と *「死が身近でなくなったときの、死に対する恐れ」 *その性質が違います ☆若い自我が目覚めるときに「自分の死」を考える人が多い *「自分がある」が「いつか自分がいなくなる」 *自分がこの世界から消え去ってしまうことを想い *恐怖を感じるのです *人間として一人前にはほど遠く、恋も結婚もしていない *自分の価値が見いだせないからなおさらその恐怖を感じる ☆人は年齢を重ねて、さまざまな経験を経ていきます *次第に仕事も覚え、家族もでき、自分の存在意義を感じられます *仕事をコントロールできるようになり *自分の人生をコントロールしようという意欲も生まれます ☆「死」を受け身な客体的な存在から主体へと変化していく *死に対しても、なくすことはできないけれども *「自分の力で遅くすることができる」という意識が生まれる ☆死を恐れず、けれどもなるべくそれを遠いところに置く *その様な、気持ちで生きていけるのではないでしょうか                        (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『死に方の思想』死を遠いところに置く(最終回)(ネットより画像引用)

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