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先祖供養&「仏壇・お墓」 

2023年01月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?先祖になるということ2?先祖になる意義 ☆村は、江戸時代前の戦国時代に大幅に増えた *村にお寺ができ、お寺の数も飛躍的に増えた ☆江戸時代、寺請制度ができて強制されたために *みんな熱心に仏教で先祖供養をするようになった *そうした信仰が生活の中に浸透していった ☆明治時代になり寺請制度がなくなっても、それを引き継いで *先祖供養は、戦後の高度経済成長の時代になるまで続く *先祖供養の歴史は、約4百年間続く ☆その家を開いた人、その家に貢献した人等を「ご先祖」として *崇拝の対象になった ☆ご先祖への感謝、法事法要をするというやり方で表わしてきた *多くの日本人「御先祖になること」を目標に熱心に働いた *死んだ後に信仰の対象、ご先祖様になり、仏様になった ☆日本では死んだ人のことを「仏」と言う *仏壇に先祖の位牌を祀っている ☆本来、仏壇は、先祖の位牌を祀る場所ではなく仏を祀るべきもの *仏壇は、もともとは念持仏を祀る為にあった *身分の高い人たちは日々祈る小さな仏像を持っていた *本来、その念持仏を収めるのが仏壇 ☆先祖崇拝によって、念持仏は位牌に取って代わられた ☆位牌は儒教にもととづいて、朝鮮半島や中国から来た習慣 *仏教には、位牌という考え方ない * 位牌を仏壇に祀るようになったことで *仏壇は先祖供養のための一番重要な場になった?土葬の時代の記憶 ☆地方の農村部などは、かって土葬だった ☆村の中に共同墓地があり、死んだらそこに葬られた *村の誰かが死ぬと葬式組が共同墓地に穴を掘り土葬した *土葬した場所は「埋め墓」と呼ばれていた *そこに次々とほかの家の死んだ人も埋められた *共同墓地ですから個別の家のお参りの対象にはならない ☆「両墓制」という制度もあったが *一部の人たちは埋め墓と別に参り墓を作った *お参り用の墓ですが、骨が埋まっていない ☆亡くなった人に手を合わせる場は、仏壇が一番の中心 ☆土葬の時代は、参る墓を持たない家がほとんどだった ☆現代の社会、家に仏壇がなくなり *死者が家の外に追い出される *それが戦後に起こった都市化の一つの象徴?都市化と核家族 ☆戦後、都市化が進んだのは、高度経済成長の時代 ☆大都市に人口が集中する時代になっていく ☆都市化から、人々の「死に方」が大きく変容する ☆高度成長の時代、都会に団地が登場する *団地はにはお年寄りはいません *家に年寄・死んだ人・仏壇・祖先もいない *死者供養には関わらないことになる ☆その人たちにとっては先祖崇拝とは *親戚づきあいの一つという位置づけ ☆自分が、都会にできた新しい家の「先祖になる」のイメージもない *先祖供養から遠ざかっていく ☆男女2人が結婚し、子どもが生まれ、子どもが巣立っていくと *夫婦が残り、夫婦どちらかが死んで最後は1人になる ☆都会の多くの家族が「1代家族」になっている *1代家族では、先祖供養をする人は誰もいません *仏壇が家にないから、その対象もありません *かろうじてお墓参りには行きます *ご先祖様が偉いという観念はありません *都市化で、先祖崇拝が廃れてしまったのは必然の流れでした ☆村社会には、さまざまな規制があり、しきたりがありましたが *自由もないし、窮屈な暮らしではあるのですが *ご先祖様がいました *いつかは自分も「ご先祖様になる」と考えられる人生だった                        (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『死に方の思想』先祖供養&「仏壇・お墓」(ネットより画像引用)

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