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たかが一人、されど一人

祇園精舎の鐘の声 

2011年10月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

リビアの独裁者カダフィが焙り出されて殺された。反政府軍を国民側と置き換えることもできるらしい。これはイラクのフセインの場合と決定的に違う事に注目する必要があるらしい。フセインが、最後まで米国に抵抗して米国に殺されたのとは対照的に、カダフィは03年に米国と取引してパンナム爆破を認め、以来米国に利用され、米国に守られて独裁者であり続けてきたとのこと。だからオバマ大統領も祝意を述べ、日本の官房長官もこれに倣ったようだが、少し遅ればせでもあり、言い方に迫力を欠くとの事だ。現在米国政府がウォールストリートを占拠せよと叫ぶ国民を前にして手の打ちようが無く、カダフィの死をひとごととは思えないからだ。とも言っている。オバマ大統領が追放されたり殺されるど心配する全く無いだろうが、あちこちで訳の分からないデモが起きている事は、次の選挙を考えれば心配でもあろう。本当に心配しているのは、やはり中東諸国とカダフィさんのお友達である北朝鮮の金さんや中国の共産党幹部なんかだろう。いつの世のどこであれ、圧倒的ひとり勝ちがいつまでも続く筈はない。その点日本は気楽なものだ。英米で火が付き始めているデモも、ウェットな日本ではなかなか着火しない。むしろ政治に強力なリーダーシップが欲しいてな論調が主流だが、本当にそうなのかは疑わしい。ドングリの背比べの方が無事と言うこともある。TPPなんて難しい問題が浮上しているが、これなんか強力なリーダーシップが無い方が無事の典型だろう。ただ我が国の場合、アメリカと言う宗主国、独裁者にも似た存在があり、それの手駒が外務省とか主要官庁に上手に埋設されているようだ。この宗主国または独裁者が少し貧するに及び、日本からある意味で富の簒奪を仕掛けてきているようでもある。この事を知ってか知らずか、少なくとも市民レベルで怒りの声を上げる人は極々稀だ。政治家の声の上げ方、マスメディアの偏向報道、原因にはいろいろあるだろうが、豊か故に我が国の青年の情熱が些か薄い事が残念である。アメリカは刃向うには余りにも大きすぎるか?しかしリビアの国民から見たカダフィの存在と比べたらどうだろう。「奢れるもの久しからず」昔の人はうまいこと言う。

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