メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

東大宇野重規教授「日本は、成熟した民主主義国家です。」「自分のや怒りを表現しようと思ったときに、暴力に訴えずとさまざまな手段が確探されでいます。」 

2022年07月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今朝の朝日新聞は「元首相銃撃 いま問われているもの」として、宇野重規東大教授(政治思想史)が語っています。
宇野重規教授は「日本は、成熟した民主主義国家です。」「自分のや怒りを表現しようと思ったときに、暴力に訴えずとさまざまな手段が確探されています。」と述べていますが、「小選挙区制」による国政選挙が「成熟した民主主義国家」でしょうか。福一原発事故の政府の責任が免罪される裁判所が「自分のや怒りを表現しようと思ったときに、さまざまな手段が確探されている」のでしょうか。
いま問われているのが、政権党や野党の一部が旧統一教会との癒着と干渉による政治の歪みそのものです。それを「暴力は民主主義の敗北」として論じることが、如何に為政者を喜ばす学者だと厳しく批判したいと思います。

(二面から抜粋)
「民主主義の画期とされるフランス革命では、絶対王政が打倒され、国王は処刑されました。その後、議会制が形成されていく過程では、反対派を暴力によって粛清する『恐怖政治』がおこなわれました。このときの『恐怖』を意味するフンス語が、現在のテロの語源源です。
?  譲れない一線? ーーーー民主主義のために許 される暴力もありますか。 「一般論として、非民主制や独裁者による抑圧的な体制を倒すめ民衆の抗議を、暴力だからか否定するわけにはいかなでしょう。ただ日本は、成熟した民主主義国家です。自分のや怒りを表現しようと思ったときに、暴力に訴えずとさまざまな手段が確探されでいます。あくまでも言説で表現しなければなりません。 「政治的指導者への暴力 は、単なる一個人への攻撃ではない。その人の,体現する政治的な価値に紂する挑戦であり、そういった価値をもった政治家同士が競い 合う民主主義の否定と言えます。だがら暴力は使わな い。その一線を譲ってはいげないという国民的な合意を改めて確認する必要があります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(了)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ