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平成の虚無僧一路の日記

落語の「花見酒」って? 

2022年04月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



落語の『花見酒』「酒がなくて なんの花見かな」。花見には酒はつきもの。そこで「酒を売りに行けば売れるだろう」と考えた二人。元手の金はないから、酒屋に行って、酒を一樽と 釣銭用にと10賎を借りた。さて、樽を担いで向島に向かった二人。途中で酒が飲みたくなった。まず兄貴分が、先ほどの借りた10賎で一杯。今度は弟分が、兄貴よりもらった一銭で一杯。そうやって交互に一杯、また一杯と・・・・。 とうとう樽は空に。さて「売り上げは」と勘定してみると、10賎だけ。酒屋に「酒代」の支払いをせねばならない。借金だけが残ったという話。どうも「古典落語」は、アホ丸出し。教養も知恵もないマヌケの話で、くだらないと思っていた私。でも この話。「そんなアホな」とバカにしていられないことに気づいた。バブルの頃の「土地ころがし」は、まさにこの「花見酒」と同じではなかったか。銀行から借金して土地を買う。転売して、また買って、売って。土地が同業者の間を行ったりきたり。株もそうだった。その挙句、地価も株価も暴落して、気が付いたら、金は無い。悪夢だった。いや、詩吟や琵琶、邦楽界も、まさに「花見酒」ではないか。会を催せば、同業者が「ご祝儀」を持ってきてくださる。今度、その方が会を開けば、「御祝儀」を持っていく。差し引きゼロ。つまり、仲間内で「ご祝儀」をやりとり(交換)しているだけ。一般客がチケットを買って聴きに(見にきて)くれない限り、業界としては外貨は稼げない。そんな努力を怠っているかぎり「花見酒」である。

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