にいたかやま

アニー様  橘安子時代 

2022年04月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

アニー様
紡がれた百十二話恙なく鑑賞させて頂きました。
リクライニングシートで寛がれる日々で、百歳を迎えられた由、誠に慶賀の極みです。
揺れる椅子の中で去来する夢のまた夢
稔との恋愛…御結婚…戦争未亡人…るい誕生…愛娘との決別…戦争花嫁…
ストーリーが紡がれてる最中の昨年の十一月九日、瀬戸内寂聴が現世から来世へと旅立って逝かれました。
同世代を駆け抜けられた彼女との比較対照で貴女の人物像がクローズアップできれば幸いです。

橘安子時代1925-1943
1925年岡山の菓子商「橘」で、父金太母小しずの長女として誕生。兄に算太。
(1922年徳島の仏具店で瀬戸内晴美誕生)
1939年芸能志向で家業に関心を示さない兄に成り代わり家の看板娘に成長された貴女の店番時に、大阪の大学に通う実直そうな青年が和菓子を求めて来店。
彼の名は稔で岡山の有名企業雉真繊維を経営する千吉と美登里の長男。
貴女と懇意となり相思相愛から結婚へ。
立ちはだかる「家業」という二つの大きな山。
一つ目は橘家が長男を見限って砂糖商の子息と貴女の縁談を進めようとした時、稔を含めた家族会議のようなものが開かれ、彼の真摯真剣な愛情告白に御両親は雉真家の意向に懸念を示されながらも結婚を前提にした交際を容認。
今度は雉真家が銀行の頭取令嬢との縁談を進めようとする。
千吉「家業は学問でどうこうなるような生易しいものじゃない!」「その覚悟と決意があるならこの家を出て橘家の後をを継ぎなさい!」
美登里の感情的攻撃はすさまじく店番をしてる貴女に和菓子の注文をしておびき出し、配達に行った貴女に手切れ金のようなものを渡しながら「それは持ち帰られ!」「二度と稔に近づかないで!」
さすがの稔もお見合いを承諾せざるを得なくなり赤い糸も切れそうになるのですが、稔の弟で貴女の幼友達でもある勇の援護射撃がキューピッド役となり大願成就。めでたしめでたし!1943年「稔と安子」結婚
(一方、瀬戸内晴美は東京杉並の東京女子大学に通学、卒業。1942年九つ年上の酒井氏と見合いから結婚へ
彼女の学園での生活を知りたいのですが勉強不足でよくわかりません。
キリスト教系の女子大ということで「花子とアン」ようなイメージです。)

感想
私は農家の三男坊で実家の後継問題がピークになった場面に居合わせました。決定は次兄と相談してからと言い張る長兄を両親が母方の伯父まで巻き込んで「お前しかいない」等と説得工作。
貴女の大恋愛でそんなことを想い出しました。
生涯にわたって「愛」を説かれた寂聴語録に「恋愛とは雷に打たれるようなもの」とありますがそう悟られる前のご自身がお見合い結婚。
お見合い結婚が大勢の時代に恋愛結婚。
1965年生まれの貴女の孫娘の「ひなた」が後に「お祖母さんて先進的な人」と評されましたが、的確な人物評価だと思います。



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