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慶喜

中世での神道の形成2(吉田神道) 

2022年03月19日 外部ブログ記事
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?中世における神道の形成2(吉田神道)?室町期に吉田神道の登場(神祗から神道ヘ) ☆日本人にとり、鎌倉期の「元寇」の衝撃は大きかった ☆元寇を撃退した「神風」に触発された「神国思想」 *高揚させる契機となった ☆北畠親房は、南朝の後醍醐天皇の親政を補佐した ☆北畠親房の『神皇正統記』 *南朝の正統性を東国の武士に説いた *元寇後の神国思想を投影したもの ☆室町後期の吉田神道は、江戸期の国学の伏線となった *「国難」は民族のアイデンテイテイを誘発し、結束の価値基軸を求める *民族意識の高まりを投影したのが「吉田神道」であった?吉田神道(唯一神道、卜部神道)近世神道の母胎 ☆吉田神道は、宗教としての神道の態勢を整えた *教義、経典、祭祀組織の整備していた ☆吉田兼倶は、宮中の神祗、祭祀に携わってきた一族 *仏教や儒教、神祗神道を取り込んで構築した *祖先は占い(亀卜)をもって官廷に仕えた家系 *日本書紀に基づく神祗の知識を吸収し *「我国開国以来の神道」として仏教から自立した神道を創作した?吉田兼倶が書いた『神道大意』 ☆『神道大意』神を根元とする宇宙観を展開 *天上に神、地上に霊、人体に心が存在させた *神即天皇という一神教的世界観を中核に据えた *人間の内的葛藤に向き合う宗教というよりも *神祗に基づく秩序を志向する体制宗教を確立する意図を鮮明にした ☆「第二層たる神道」が宗教としての形を見せ始めたといえる?                       (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『人間と宗教』中世での神道の形成2(吉田神道)(ネットより画像引用)

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