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金田博美、金田朋子
親父と癌の思い出
2022年02月28日
テーマ:テーマ無し
2022年2月27日(日)快晴。つい晴れとは書かなくて快晴と書いてしまうような、寒さに弱く晴れが好きな爺である。今日の午後スバルに軽トラックスズキ・キャリーを下取りに持っていき、新車の軽トラック、スバル・サンバーを乗って帰る。スバルに行ったときに、購入するS−4の試乗車があるので楽しみだ。親父が私の年の頃には、多くの手術を経験していた。親父は60歳で胃がんの手術をして、術後腸閉塞を何度か繰り返した。親父は胃の大部分を切除したので、一日に食べる食事の量は少なくなったが、胃の中で留めて消化することができないので一回に食べる量は少なくなり、食事の回数は増えた。親父が手術する前に、病室で手術着に着かえ麻酔注射をしてストレッチャーでエレベーターに移動している時に、親父に大きな声で声をかけた。「おやじ、がっばってなぁー、みんながついているから大丈夫やから」といった。普段は何も話さないし、病室でもほとんど話さなかったと思うが、その時に親父に、手術室に向かう絶対に不安だらけで、多分前の晩も睡眠薬も効かずにほとんど眠れなかった親父に、息子として何か声をかけないといけないと思った。親父にやっとの思いで声を掛けたら、親父はエレベーターに向かうストレッチャーの上で、思った以上に力強く手を挙げてくれた。それだけでじゅぷんだつ思った。うれしかった。手術は予定した時間より長くかかった。待合室には同じように手術が終わるまで待っている親族が何組かいた。手術が終わり説明を受けるために、お袋と私が手術室に入ったら、ベットの上で横になっている親父が、すごく小さく見えた。切除された癌は富士山のような形に盛り上がっていた。これが親父の命を奪おうとしていたのだと思った。手術は成功したが、開腹手術をするだけでも、体にダメージを与え、内臓が空気に触れもとにあった場所に人間の手で戻すだけでも、おさまりが悪いのか、親父はその後3回くらい腸閉塞を患い入院した。ちょうど私と同じ年の頃だ。私には親父のように、あれほど辛抱強く癌と戦うことはできないと思う。もう、その親父もいなくなった。☆彡関係ないけど 村上春樹 ?カンガルー日和より・外では雪が降りつづいている。そして百頭の緬羊は闇魔の中でじっと目を閉じている。・我々は同じ列車に乗り遅れてしまった乗客同士といった雰囲気でハンバーグ・ステーキを食べ、コーヒーを飲んだ。
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