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仏教の日本伝来と親鸞(3) 

2022年02月24日 外部ブログ記事
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?仏教の日本伝来と親鸞(3) ☆親鸞という名前にはユーラシアの風が吹き抜けている ☆親鸞は自ら「三国七祖」の影響を受けたと述べている
 *インドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空 *親鸞の名前は、ユーラシアの大乗仏教
 *浄土教の「加上」の歴史を体現する意思を示している
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?親鸞とその時代――鎌倉仏教誕生の背景 ☆親鸞が生きた時代
 *平安末期、武士による幕府政治の始まりという動乱期であった
 *平家物語の「諸行無常」を実感せざるをえない状況
 *仏法の終焉たる「末法思想」が囁かれる不安なる時代であった ☆叡山から下りる頃の青年僧・親鸞の悩みと迷いは深かった
 *比叡山から下山後「専修念仏」を掲げ衆生救済に向かう法然(源空)の弟子となる ☆延暦寺や興福寺など既存の仏教勢力による「釈尊の正法を汚すもの」としての
 *「専修念仏」批判・抗議を受け、後鳥羽上皇によって「専修念仏」の停止
 *法然、親鸞らの流罪が命じられた
 ☆壮年期の親鸞は東国(越後、上野、常陸など)にいた
 *『教行信証』を著し、妻恵信尼や家族と過ごした「幸福な時間」だった
 *63歳頃に京都に戻って、 死去までの約30年間が「親鸞を親鸞にした」
 *80歳代でも著作に精力的に取り組む

?笑顔の親鸞――大地を生きる人間の体温 ☆親鸞は、空海と対比して考えるとその輪郭が明らかになる
 *空海は眼差しを「宇宙」に向け、壮大な仏教体系の中で
 *現世を再現した万能の天オである
 ☆親鸞は「大地の上に起き臥しする百姓」のごとき目線で
 *自らを「愚禿親鸞」とし「救いたくても救えない」
 *自分の弱さと非力を自覚するところに立ち続けた
 ☆親鸞を想うとき、微笑みの親鸞が思い浮かぶ
 *あまりにも人間臭く、洒脱な精神を感じるからである
 *厳格な修行僧とは違う「人間親鸞」を感じる
 ☆親鸞は人間の煩悩の柱たる「愛欲と名利」を乗り越える人生を送る *夏目漱石は、親鸞を「独立自尊のひと」と表現した
?親鸞の仏教――民衆の仏教へのパラダイム転換 ☆『歎異抄』の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は親鸞思想の真髄
 ☆親鸞のいう「善人」とは
 *「自らの力で、善行を行い、悟りを開き、救済を得ようとするもの」
 ☆「悪人」とは「善い行いをする能力のないもの」
 ☆阿弥陀仏の慈悲の力は、悪人に向かうと
 ☆悪人とは「縁があってよいことも悪いことも行ってしまうことを自覚している人」
 *もちろん親鸞自身も悪人、弥陀とはまずそういう人たちを救う存在
 ☆「悪人正機」という視界
 *仏教は、国家鎮護のためではなく、内省と煩悩克服でもない
 *仏教を、衆生救済へんも宗教として軸を変えた
 *本当に困っている人(悪人)を阿弥陀仏は救うとの意味
 ☆親鸞の神道に対する考え方
 *師たる法然の「神道不拝」を受け継ぐとされているが
 *日本土着の神祗を否定していない
 *阿弥陀仏への帰依により、念仏者を「天神地祗」が守るものとの考え方を展開した
 *「専修念仏」に生きる仏教者であり、仏教優位の神仏習合の見解だった
                       (敬称略)                                     
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?出典、『人間と宗教』
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仏教の日本伝来と親鸞(3)
(ネットより画像引用)

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