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「八紘一宇」の塔を考える会 機関誌第106号 発足30年記念講演会特集
2022年01月17日
テーマ:テーマ無し
>「八紘一宇」の塔を考える会 機関誌第106号 発足30年記念講演会特集<が、配達されました。「考える会発足30年にあたってのスピーチ」及び「講演後の意見交流会」の一部を文字起こしします。
? 考える会発足30年にあたってのスピーチ
◎有原誠治さん みなさん、おはようございます。ずいぶんご無沙汰しております。私の頭も白くなってしまいました。もう30年たつんですね。あっという間にという感じももちますけれども、30年たってこうした会を開催されています史実を考える会の皆様と私は特に個人的には税田さんに深く、深く感謝を申し上げたいと思います。税田さんと私は映画の仕事を通じて、私は作り手で税田さんはこの宮崎で映画を上映する活動をなさっていまして、このことを通じて「八紘一宇」の塔と出会ったわけですが、その時の衝撃は忘れることはできません。塔に案内してくださったのは、バードカービングの渡邊耕作さん。彼は元映画センターの方ですが、彼が私に、大 変面白いものがある、というか「私はいつかこれを壊したい」と言って案内をしてくださったのが、あの偽りの「平和の塔」でした。私は、ちょうど「子どもたちに、いざとなったら神風が吹く、ということを教えた教育が博多?福岡の街を焼いた」ということをテーマにして「火の雨が降る」というアニメーションを作って、その上映で伺った時でしたので、なおさら「八 紘一宇」という文字が巨大な塔になって現存していることを目の当たりにして、まず驚きまし た。そして、土台の石が「中支志賀中山隊」とか軍隊名が彫り込まれてあって、これは日本軍が当時侵略していた先から持ってきたものだということがわかりましたので、それが寄せ集められて土台の石になっているということが二つ目の衝撃です。ですので、「平和の塔」どころか侵略の塔、略奪の塔ではないかと思ったのです。? もう一つ驚いたのは、その当時撮った写真があるんですけど、塔の前に修学旅行生がいます。南九州周辺を旅行した子どもたちが観光バスで必ずここに寄って、「ここは世界の平和を願った平和の塔です」という案内を受けている様子です。これにとてもショックを覚えました。真ん中で子どもたちが下の方を見ている様子が映っていますけれども、ここにオリンピックの丸い記念のマークが埋め込まれてあります。これはのちに税田さんたちから教えてもらうんですが、そこでオリンピックの聖火リレーがスタートしたことによって「八紘一宇」の文字を戻したということもあり、いくつもの衝撃といいますか、まさに土岐さんも言われましたけれども、負の遺産に向き合わない日本の姿がそ のまま巨大な塔として残っている、ということに大変大きな衝撃を受けました。 ご紹介の中で、私が塔の石を調べ始めたということ、土台の石の身元を調べることでより具体的に侵略の塔、戦争の塔だということがより明らかになるのではないかということで、東京にいながらどこまでできるかなあと国会図書 館などいろいろなところで調べたりしたんで すが、なかなか具体的なことがわかなない。まず第一に、どういうところからどれほどの石が来ているのか、塔のどこにその石がはめられているのかということを調べないといけません。そのことを税田さんに相談しましたら、税田さ んがそれは熱心に、お仕事がどうにかなってしまうのではないかと思うくらい調べてくださいました。そのことによって、全容がわかってくるということにつながりました。私の方は次の映画の作品のこととかあって、この塔の調 査は宮崎の皆さんにお任せしたほうがいいな、 東京では不十分な事しかできないということ で、一会員としてこれまで参加してきたという 経過です。 史実を考える会の皆さんの活動は、本当に素 晴らしい。「八紘一宇」というものがどういうも のであるのかということを含めて歴史的に、いつどこで何がどうなっているのか、事細かに調 ベてくださって、さらにそれが世界的にどんな ふうに広がっているかということなどを、韓国や中国まで足を運んで調べてくださいました。そしてついに上海で石の発見があり、ここから 石をはがして持ってきたということまで調べ てくださった。あの衝撃は大きかったです。? 西日本新聞社がそれを報道しましたが、その後朝日新聞社が全国紙で、紹介してくださいました。史実を考える会のみなさんの活動は、大変大きな深い影響を社会に与えてきたと思い ます。「八紘一宇」が今も生きているのかどうか、という問題は、2015年3月、三原じゅん子という自民党の議員が参議院予算委員会で「八紘一宇は大切にしてきた価値観」と発言し、それを聞 いた「日中友好新聞」の記者はぞっとしたとして、記事を書いています。三原じゅん子やそれにつながる日本会議の人たちの考え方を批判して、この記事は書かれているんですが、そのことを紹介するにあたって、この宮崎の地で「八紘一宇」の塔を考える会が活動している、それを代表して税田さんが「八紘一宇」とはどういうものかということを語っている。今の自民党政権の深いところでは、この「八紘一宇」につながるような戦争観をずっと引き継いでいます。別な言葉で言うと歴史修正主義といいますが、そうした考え方が時々いろんなところで露見をしてきて、最近では熊本の高校で、九州国際大学の学長さん?石川さんという元自民党の方が「過去の戦争はアジアの解放のための 戦争だった」という発言をされています。「八紘 一宇」という言葉は直接使わないにしても、かつての戦争をどうたたえるかということで言えば、この「八紘一宇」が底辺に流れている歴史観を今の自民党の支配層、さらにその陰にある日本会議が引きずっているわけなんです。その中で、図らずもこの史実を考える会の活動というのは、「それは歴史的にみて間違いですよ」ということを正面から批判する、異を唱えるという活動につながっていることに深く深く私は、いつも「石の証言」のお便りをいただいて、感銘というか、感動しております。そういう意味で感謝の言葉を伝えなければと思い、 税田さんからのお誘いもありまして今日、この場に参りました。皆さんのご活動に深く敬意を表したいと思います。ありがとうございました。
?講演後の意見交流会?〇杉尾宏さん
? 私は、東日本大震災の年に税田さんと土岐さんに誘われてこの考える会に入会しました。その時にはすでにこの考える会の基盤?基礎は出来上がっていたということが税田さんの話でよく分かりました。 有原さんが蒔かれた一粒の種が実を結んだわけです。そして実を結ぶまでどのような脈絡と人との繋がりや出会いがあったのかもよくわかりました。しかし、何よりも重要なことは、市民の自発的な活動に基づく公共空間(パブリックス・フィア)公共圏ができたことです。私はこの公共空間・公共圏のことを英語でいうアソシェーションと呼んでいます。アソシェーションとは民間の組合とか団体とか組織を指します。私たちの会は塔の史実を明らかにするという、極めて明確な目的を持った研究団体、アソシェーションであり、公共空間・公共圏だと思っているわけです。こうした、アソシェーション、公共空間・公共圏こそ今日、公権力に対 抗できる有効な場だと私は思っています。公権力は、私たちを監視し規制する空間で囲い込もうとします。そこでは、私たちの行動やものの見方や考え方を標準化したり規格化したり、また事実を隠蔽したり粉したり、こういうことをしようとしています。特定秘密保護法、安保関連法、共謀罪法、マイナンバーカード、デジタル庁、御用マスメディア、改悪された教育基本法、公権力の教育内笋への直接介入などを通して、そういうことをおうとしています。塔の史実を追求する私たちの会は、まさにそうした公権力に対抗すべく、公共空間・公共圏であり、アソシェーションの場だと思います。 この場で様々な価値観や考えを持った人が、民族・性・職業・社会的地位を超えて話し合い、対話を積み重ねていくことによって合意を得ていく、というこの公共性こそ、多様化社会に相応しいものであり、公権力に対抗できる有効な手段だと思います。自画自賛ですが、私たちの会は、リベラルな社会を目指す一種のコミューンだと思っています。ただ残念なことに私たちの会も例外にもれず、少子・高齢化に襲われて、ある面でこれからの存続が危ぶまれているのが現実です。会員のほとんどが70歳代の後半以上、80歳代です。しかしこの難局をどうに かして乗り越えなければいけないということを今日また新たにした次第です。
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(了)
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