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地震で倒壊する恐れがある「大番町跨線橋」の解体を公明党が妨害 

2022年01月06日 外部ブログ記事
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「大番町跨線橋」(無名橋)は、御茶ノ水駅 ⇔ 中野駅間で総武線と中央線の復々線になった1932年(昭和7年)頃に竣工しました。(管理人の土木学会関東支部への質問に対しての回答は、「甲武鉄道が青山軍用停車場の為に構築した跨線橋ではなく、国鉄が復々線の開通時に構築した。」)
地震で倒壊する恐れがあるからとJR東日本は解体することを昨年10月に地元の信濃町町会に通告しました。都営地下鉄大江戸線「国立競技場駅」への乗降、神宮外苑の運動施設利用などでこの跨線橋は地域住民にとっては利便をしていました。町会は地元の公明党新宿区議会議員に依頼して国土交通省に解体工事を止めるように陳情しました。国交省担当局は12月、地元で良く話し合いをするようJR東日本に指導しましたので工事は一時中止となりました。(以上は、信濃町町会長代理松本洋氏の電話。)
東京都水道局西部支所には、昨年夏頃JR東日本から「大番町跨線橋」を解体するので水道菅を撤去して貰いたいと申し入れがありました。この水道菅は橋の上に載せていますが、既に水道は通していませんので撤去は簡単にできるようです。
第三次中曽根内閣が実施した国鉄を分割民営化する1987年(昭和62年)頃に、国鉄は新宿区に対してこの「大番町跨線橋」(無名橋)の管理を移管したいと打診がありました。当時の土木部道路課担当係長は「こんな跨線橋は、維持管理に莫大な経費が掛かるから管理の移管には絶対に反対である。」と、上司に具申しました。その結果そのままJR東日本の管理する構築物となりましたが、老朽化を考慮して自転車と人が往来するだけの跨線橋としました。
もしも大番町跨線橋が地震によって倒壊し、総武線と中央快速線が不通となったらば首都圏の交通に大影響を及ぼすことになります。解体工事を公明党新宿区議と公明党石井啓一国土交通大臣が妨害した事になる重大な政治責任問題です。
地域住民にとっての利便を考慮するならば、これまで80年間の通行既得権を主張し、自転車と人が通行できる「神宮外苑地区広域避難場所」への耐震性鉄橋をJR東日本に造らせるべきだと、管理人は考えます。
撮影:2002年10月


新宿区道側に残る橋のコンクリート台座(四谷第六小前)

新宿区道側に残る橋のコンクリート台座(慶應病院通用門側)

(了)
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