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中国 南京事件の犠牲者数 疑問視する発言の教師を除籍処分 

2021年12月26日 外部ブログ記事
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中国の南京で、旧日本軍が多くの市民を殺害したなどとされる「南京事件」をめぐり、上海の専門学校の教師が授業で、中国政府が30万人と主張する犠牲者の数について「データの裏付けはない」などと発言し、学校側は、社会に悪影響を与えたとして、この教師を除籍処分にしたと発表しました。「中国 南京事件の犠牲者数 疑問視する発言の教師を除籍処分」(傍線は管理人)

旧日本軍が多くの将兵と市民を虐殺したとされる1937年の「南京事件」について、中国政府は、30万人が犠牲になったとして、毎年、12月13日に「国家公祭」の追悼式典を行っています。
故野中弘務さんは、立命館平和ミュウジアムの記念講演で「日本軍の南京大虐殺はあったのは事実なので、後援会の方々と毎年南京で追悼をしているが、犠牲者30万人は絶対に認めるわけにはいきません。」と発言していました。

笠原十九司著「日中戦争全史(上)」は、『 南京大虐殺の犠牲者総数について拙著『南京事件』では、「十数万以上それも二〇万近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される」(ニニ八頁)と書いたが、犠牲者数でもっとも多かったのは、捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたおよそ八万人と推定される中国兵であるが、その中でも、以上述べた入城式のための「残敵大掃蕩」による犠牲者がもっとも多かったのである。』と述べられています。(傍線は管理人)
靖国神社・遊就館展示室10「支那事変」のパネル中「南京事件」には『昭和12年12月、南京を包囲した松井司令官は、隷下部隊に外国権益や難民区を朱書した要図を配布して「厳正な軍規、不法行為の絶無」を示達した。敗れた中国軍将兵は退路の下関(しゃーかん)に殺到して壊滅された。市内では私服に着替えて便衣隊となった敗残兵の摘発が厳しく行われた。』と述べられています。(傍線は管理人)一方、展示室15「終戦 日本再建への道」のパネル中「広島の原爆被害者は20万人、長崎は8万人」と、ハッキリ犠牲者数を書いてあります。
東京裁判(極東国際軍事法廷)では、南京事件の犠牲者は20万人、南京BC級裁判では30万人と認定されています。東京裁判で7人が絞首刑となりましたが、唯一文官であった広田弘毅は、外務大臣として「防止の怠慢の罪」を問われました。この事に対して、ハワイ大学戸谷由麻教授は『世界』9月号(2020年)で、東京裁判は「戦争犯罪に於ける組織と個人責任」を明確にしたと評価しています。
管理人は、70歳(2009年12月13日)と80歳(2017年12月25日)の時「侵華日軍南京大遇難同胞記念館」を訪問し、「父の重罪を此処に座し許しを乞う」と献花しています。「侵華日軍南京大遇難同胞記念館」の館長を始め学芸員らは、「犠牲者30万人のデーター」を豊富な一次資料によって、犠牲者が30万人以上であることを世界に示し、可能な限り集める努力をしている事を知っています。日本の敗戦後、直ちに犠牲者の調査にかかり、A級国際軍事裁判法廷(東京裁判)とBC級南京裁判法廷の準備をしていたことには驚きました。しかし、学校教師が犠牲者数に疑問を挺したからと行って馘首するのは酷いですね。日本では「君が代」を歌わない教師を排除するのと同じです。
2009年12月13日


2017年12月28日


(了)

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