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「応仁の乱」の本質1(幕府・畠山の跡取り問題) 

2021年11月07日 外部ブログ記事
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?「応仁の乱」の本質1(幕府・畠山の跡取り問題) ☆八代将軍・足利義政が招いた「跡取り問題」 *「原因は足利将軍家の跡継ぎ問題だった」が定説 ☆しかし「応仁の乱」のきっかけには諸説ある?くじ引きで選ばれた六代将軍の足利義教が暗殺された ☆義教の息子である足利義勝が七代将軍に就任した *義勝はまだ幼いうちに亡くなる ☆八代将軍として義勝の弟足利義政が選ばれた *義政は、長いこと子どもができなかった *義政は自分の弟に将軍の位を譲ると言う *僧侶の弟は、還俗し、足利義視と名乗る ☆翌年、足利義政の妻である日野富子が息子を産んでしまう *日野富子は、自分が産んだ子を将軍にしたい ☆九代将軍に誰を据えるべきかという問題が勃発した?畠山持国の「跡継ぎ問題」が発端になった ☆くじ引き将軍・義教の人百長の実行者の疑いがある畠山満家 *満家の息子の畠山持国は、畠山家の全盛時代を築いた優秀な人物 ☆満家の次を決める際に、息子畠山義就と、甥畠山政長 *両者間で面倒な跡継ぎ問題が起きてしまった ☆畠山持国は跡目について考える *私には息子ができなかったな *甥の政長を後継者と決めた *しかし、自分が寺へ送った成長した息子顔は自分に瓜二つ *「これは、自分の子に違いない」と持国は、確信した *甥ではなくて、息子に跡を継がせたい思った持国 *義就と名乗らせ、家へ連れて帰る ☆跡目争いで、畠山家は真っ二つに割れてしまう *騒動の最中に、問題の原因を作った持国は死んでしまう *どちらが家督を継ぐべきかを議論した *幕府側が支持したのは甥の政長側でした *義就は、謀反人と認定され、討伐の対象になる ☆義就は、自分の名誉を守るため懸命に戦う *義就は戦上手、目を付け山名一族の長山名宗前 *山名家は、義就を支持することをきめた?畠山政長は、細川勝元へ「自分を支持をと」と詰め寄った ☆勝元は、「畠山政長を支持します」と賛同した ☆幕府内に、畠山義就を推すグループ、畠山政長を推すグループが誕生 ☆畠山家と足利将軍家の跡継ぎ問題の結果 *室町幕府は、真っ二つに割れた *細川勝元が率いる東軍、山名宗全率いる西軍 ☆京都で11年間の長きに渡って戦いが行われた ☆気が付いたら京都は焼け野原になっていた                     (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『日本史の論点』「応仁の乱」の本質1(幕府・畠山の跡取り問題)(ネットより画像引用)

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