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葵から菊へ
「一つの中国」って、いつ、誰が決めたの?
2021年10月23日
テーマ:テーマ無し
>習近平氏「台湾統一は必ず実現」 辛亥革命110年で演説<したり、>バイデン大統領が台湾防衛に言及 住民対話で「義務がある」<としたりして「台湾問題」は、米中対立の火種となっています。
Facebookの岩井哲さんが、>「一つの中国」って、いつ、誰が決めたの?そしてそれは、「正しいこと」なの?私は、この半世紀、そのことに根本的疑問を抱いている。それが「岩井哲」の変わらぬスタンスである。「アルバニア決議」(1971年10月)を、私は認めない。< と、投稿されました。
そこで「アルバニア決議」、「ヘンリー・キッシンジャー」、「ニクソン大統領の中国訪問」をウィキペディアで勉強しました。
「角川 世界史事典」の「 国連代表権問題」には、『国際連合における中華人民共和国の代表権をめぐる問題。1945年の国際連合創立以来中国は原加盟国・“安全保障理事会”常任理事国だったが、49年の中華人民共和国成立と?介石国民政府の台湾移転によりどちらが代表権を持つかという問題が発生した。50年の朝鮮戦争勃発を契機としてアメリカは台湾防衛?中国封じ込め政策へと転換し、台湾に代表権を与え、61年には国連総会の3分の2の多数決を必要とする重要事項に指定した。しかし、キッシンジャー米国務長官の訪中による米中接近の流れを受けて、71年の総会では中国招請?台湾追放のアルバニア案が可決され、中華人民共和国は国連代表権を回復した。』となっています。
当時は、「米国とソ連」、「ソ連と中国」、「中国とベトナム」、「米国とベトナム(ベトナム戦争)」等々と複雑極まりない国際関係の中で「アルバニア決議」があって「一つの中国」となったようです。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が1973年に、朝鮮民主主義人民共和国と韓国が1991年に国連に加盟していますので、国土の大きさが違っても中華人民共和国と台湾が国連に加盟しても問題はないと考えます。
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管理人は「台湾問題」には、幾つかの理由で関心を持っていました。
一つは「白団」(ぱいだん)です。故人となりましたが友人だった元熱海市議会議員山下正男さんが、「山西省日本兵残留問題」で講演したとき、『我々を残留させた最大の責任者である支那派遣軍総司令官岡村寧次と山西省第一軍司令官澄田?四郎が、戦後台湾の国民党軍軍事顧問団「白団」の幹部になった』と言われたからです。
二つ目は、陸軍の命令で甲武鉄道が日清戦争の直前に「旧御所トンネル」と「青山軍用停車場」を完成させたことでした。
三つ目は、明治大学山田朗教授著「日露戦争」の中で、日本軍の情報戦が勝っていたからだとの記述がありました。即ち「海底ケーブル」の敷設でした。それをヒントに「尖閣諸島」は、長崎⇔沖縄島⇔台湾への海底ケーブルの中継基地に使うつもりだったが、長崎⇔石垣島⇔台湾・基隆となったのではないかという「仮設」をたてました。
四つ目は、「中国人遺棄毒ガス被害者国家賠償訴訟事件」の支援団体事務局長をやっていましたが、毒ガス弾を日本軍が初めて使用したのが「霧社事件」であったと言われていましたので、台湾に関心がありました。
陸軍省つはもの編輯部昭和10年「陸軍寫眞帖」より
「臺灣と駐支部隊」の(臺灣の蕃地行軍)の写真は、大日本帝国軍人が現地の台湾人をどの様に見下した態度であったことの証左である。
聖徳記念絵画館「下關媾和談判」
聖徳記念絵画館「臺灣鎭定」
(了)
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