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北条時宗は「救国」の英雄か 

2021年10月12日 外部ブログ記事
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?北条時宗は「救国」の英雄か?北条氏の中でも高い知名度を誇る北条時宗 ☆戦前、時宗は、フビライ・ハン率いるモンゴルを撃退が定説 *日本を守った「救国の英雄」として高く評価されていた *歴代の北条氏の中では知名度が高い人物でした ☆時宗は「モンゴルから日本を救った英雄」のか ☆元寇についての、モンゴル史がご専門の杉山先生の見解 *モンゴルのフビライ、日本を本気で攻めようと思っていなかった?フビライの使者を”既読スルー″した鎌倉幕府 ☆モンゴル帝国の第5代皇帝であるフビライ・ハン ☆元寇が起こる前に何度か使者を日本に送っている *モンゴルから使者は、最初、大宰府に国書を持ってきた *大宰府は、モンゴルからの国書を京都の朝廷に送る *朝廷が、「国書を返信しよう」としたとき *鎌倉幕府が、ストップをかけ、朝廷は幕府の意向に従う ☆幕府はモンゴルからの使者に国書に返信もしない ☆何度か使者が来るが、同様な対応を鎌倉幕府した?フビライは中華思想を実践すべく日本に国書を送った ☆フビライは、日本にまで使者を送り、「挨拶に来い」と言った理由 *フビライは、中国大陸における初代皇帝を目指す *古くから中国で成り立ってきたのが、「冊封体制」 ☆冊封体制とは *東アジアの国々が中国を宗主国として仰ぐこと *中国の皇帝が「国の王として認める」と各国を自分の庇護下におさめ? *東アジアの国々は中国王朝の「朝貢国」と呼ばれる属国になる制度 ☆隋や唐といった中華帝国の国々、この体制は取り入れられていた *旅費も宿泊費もすべて中国が負担してくれる *損得を考えれば、莫大な利益があります ☆日本は、「中国の属国にはなりたくない」というプライドがあった *昔から朝貢国になつたことはない *完全な冊封体制の中に入ることはしてない ☆そんな態度を取っていても、中国から侵略されなかった理由 *中国大陸と日本の間が海によって隔てられていたという地の利                       (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『日本史の論点』?北条時宗は「救国」の英雄か(ネットより画像引用他)

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