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「戦争遺跡を保存する全国ネット大会」に春日恒男が「東京裁判の〔遺産〕」−防衛省〔市ヶ谷記念館〕の活用を考えるために− 

2021年10月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2日・3日と戦争遺跡保存全国ネットワークの全国大会がオンラインで開かれました。この大会、本当は昨年2020年に米軍の空襲の跡が生々しく残る変電所の周辺の会場で開かれるはずが、コロナで1年延期され、さらにはオンライン開催になりました。春日恒男さん(防衛省・市ヶ谷記念館を考える会共同代表)が「東京裁判の〔遺産〕」−防衛省〔市ヶ谷記念館〕の活用を考えるために−を報告しました。
? 旧日立航空機株式会社変電所 - 東大和市公式ホームページ
? 〜戦争遺跡を史跡・文化財に、 語り伝えよう戦争のこと〜
? 第24回戦争遺跡保存全国シンポジウム東京東大和大会
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分科会報告3-1?分科会報告「東京裁判開廷75周年を迎えて―東京裁判の<遺産>を継承する ―」?防衛省・市ケ谷記念館を考える会:春日恒男??1.東京裁判の<遺産>?デイヴィッド・コーエンと戸谷由麻は、その共著『東京裁判「神話」の解体』(ちくま新書、2018年)で、日本政府や東京都の主導による「国際ニュルンベルク・東京原則アカデミー」の設立を提言している。この「国際ニュルンベルク・東京原則アカデミー」とは、ニュルンベルク裁判と東京裁判の遺産を継承し、国際刑事裁判における、その意義を世界に発信する組織である。彼らは三つの設立理由をあげる。第一に、近年の国際社会における東京裁判の評価の著しい変化だ。現在、東京裁判は、ドイツのニュルンベルク裁判と並んで「国際刑事裁判所史上の基盤となる出来事だったという理解が一般化して」いる。それは「ジェノサイド罪、戦争犯罪、人道に対する罪、そのほか大規模な人権違反に対する免責をなくすための国際刑事裁判、というメカニズムが、ますます世界的に重要な役割を果たすようになってきた」からであり、「とくにニュルンベルク・東京両裁判は、国際犯罪に対する個人責任の原則を認め適用した歴史的先例として評価され」、「これらを先例として、およそ五十年後に旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)とルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)が設置」されたからである。とりわけ、その中心原則である「個人責任の原則」は1946年の国連総会決議により「国際法の中の中核たる原則」となり、1950年、国連の国際法委員会作成の「ニュルンベルク諸原則」の一環として定式化された。以来、これは「国際刑法分野における基本原則」となり、オランダのハーグに常設の「国際刑事裁判所」に適用される「国際刑事裁判所に関するローマ規定」(以下、ローマ規定)にもこの原則が鎮座しているからである。第二に、その国際刑事裁判で果たしている日本の重要な役割だ。日本は、2007年のローマ規定加入以来、「ニュルンベルク諸原則を実践するため、新世代の国際刑事裁判所を支援する所要な役割を果たして」いる。日本は、1993年の旧ユーゴ国際刑事裁判所設置を支持。その後も旧ユーゴ、ルワンダの国際刑事裁判を支援し、2006年のカンボジア特別法廷では、その「最大援助国」となった。つまり、現在、日本は「今日における国際社会の現場で東京裁判の遺産の擁護者、またその旗手たる役割を担っている」のである。?第三に、近年のドイツの変化と動きだ。ドイツも日本と同様、戦後は長らくニュルンベルク裁判に対して「勝者の裁き」という評価があった。しかし、近年、その評価を乗り越え、その遺産を積極的に継承する方向に転じている。2014年、ドイツ政府、バイエルン州、ニュルンベルク市は「国際ニュルンベルク原則アカデミー」を設立し、その公式の場所を旧ニュルンベルク裁判法廷に定めた。そして、現在、「国際ニュルンベルク原則アカデミー」は、1950年に定式化された「ニュルンベルク諸原則」、すなわち、「平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪は国際犯罪であり、こうした犯罪を犯す者は何人たりとも責任があり、よって処罰を免れないこと」等を「遺産」として「維持し広めること」を「使命」として活動している。約言すれば、21世紀の 今、国際刑事裁判の発展により、東京裁判に対する評価は国際社会で高まっている。しかも、日本は国際刑事裁判において守護者の役割を果たしている。そして、すでにドイツでは「勝者の裁き」という評価を乗り越え、「国際ニュルンベルク原則アカデミー」が設立されている。もし、日本でも歴史認識の対立を克服し、同様な組織が東京に設立されれば、国際刑事裁判の守護者という日本の立場がニュルンベルク裁判と東京裁判の遺産の継承に根ざしているという「力強いメッセージ」を内外に発信できるのだ。??2.市ケ谷記念館とその現状?市ヶ谷記念館とは、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地「1号館」の一部を、防衛庁舎(現、防衛省舎)建設に伴い、移設復原した建物(1998年、完成)である。また、この「市ヶ谷記念館」の元である「1号館」は、戦前は、陸軍士官学校本部、大本営陸軍部等として使用。1946年、極東国際軍事裁判所法廷(東京裁判法廷)が開設、その後は陸上自衛隊施設として使用された歴史をもつ。防衛庁(当時)は、その庁舎建設工事に当たりこの建物を全面撤去する方針であった。しかし、東京裁判法廷跡という歴史的重要性を唱える市民たちによる保存運動により、かろうじてその一部保存が実現したのである。現在、市ケ谷記念館は防衛省構内に所在し、同省に事前予約すれば、誰でも見学できる。しかし、その歴史的重要性と保存に至る経緯にもかかわらず、陸軍士官学校関連の展示が主であり、「東京裁判関連資料展示コーナー」は展示フロアの16分の1を占めるにすぎない。??3.市ケ谷記念館の展示改善を求めて?2016年、「防衛省・市ケ谷記念館を考える会」は、東京裁判開廷70周年を期し、市ケ谷記念館の展示改善を求めて発足。以来今日まで具体的な改善要求を防衛省に提出してきた。その結果、2020年、当会提供の東京裁判関連写真データ(米国公文書館所蔵)の一部が同館に展示されるに至ったが、依然として根本的な課題は解決されていない。今日まで当会は防衛省と二回にわたる交渉を実施したが、その席上で担当事務官は、「市ケ谷記念館における展示の主眼は<東京裁判>ではなく、<1号館>の歴史である。したがって、<東京裁判>に特化することはできない」と繰り返し主張している。すなわち、この防衛省の姿勢が転換されない限り、若干の展示資料の増加があったとしても「東京裁判」史跡としての活用を目指す本会の根本的要求を実現することは難しいであろう。では、いかにしてこの姿勢を転換せたらよいのか。コーエンと戸谷の「国際ニュルンベルク・東京原則アカデミー」設立の提言は、私たちに重要な方向を示しているように思える。??「防衛省・市ケ谷記念館を考える会」公式サイト

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(了)
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