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細川忠興夫婦の苦悩 

2021年09月24日 外部ブログ記事
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?細川忠興の苦悩 ☆謀反人の娘を愛した文武両道の逸材 ☆秀吉からは「冷遇されていた」 ☆明智光秀の娘・ガラシャを妻にしながらも大大名となる?細川忠興、豊かな教養も兼ね備えた武将 ☆戦場では有能な指揮官であり、教養豊かな文化人であった *忠興は、生きていた当時から、そうした評価だった ☆武将と教養 *加藤清正は、武士に教養など不要と断じる *三好長慶は、教養の枝である歌を理解しない人戦もダメと嘲笑 *天下人豊臣秀吉は伝統的素養に遠い *天下人徳川家康は学問好き ☆細川忠興は、信長の仲介で明智光秀三女・玉と結婚 ☆本能寺の変が起きた *細川父子は、織田家の中に上司で、友人で有り縁故でもあった *細川父子は、明智光秀への助力を断固として拒絶した ☆明智光秀への助力拒絶判断、細川家の存続という観点より正しかった ☆但し、細川忠興と玉の夫婦の間に、決定的亀裂を生んだ?本能寺の変以降すれ違う夫婦 ☆離縁すればすっきりしたのだが、忠興は妻を愛しすぎていた ☆その後の2人の生活を苦難に満ちたものだった ☆細川忠興は、 丹後一国の大名となる *父幽斎は隠居し忠興が家督を嗣いだ *秀吉は忠興に丹後12万石を安堵した ☆忠興と父幽斎は秀吉が朝廷と付き合う際大いに働いた *秀吉は細川家に褒美を与えなかった ☆忠興は秀吉から「冷遇されていた」 *武の加藤清正や福島正則、文の石田三成等領地を与えられた *自分を追い抜いていく同僚を眺めながら、忠興は自問したはず ☆忠興は、謀反人の娘である妻の存在に行き当たる ☆玉は玉で、敬愛する父・光秀に味方してくれなかった *夫や舅への想いは屈折したものになる *それが玉のキリスト教入信への道を開く ☆バテレン追放令は公布されていた *棄教を拒否した高山右近が領地を没収される *キリスト教は「あぶない」宗教になっていた ☆妻(玉)への忠興思い *なぜ妻は、細川家を危険にさらすのか怒りを覚えたのでは ☆ガラシャの名を授かった玉 *すぐにも家を出たいが主は、離婚を許可してくれない ☆徳川家康は、秀吉が没すると忠興に6万石の飛び地を与える?忠興は「人質になるなら死ね」と命じた ☆玉は、神にのみ向き合うようになっていく *この夫婦の毎日は、それは辛い日々だったのだろう ☆関ヶ原の戦いが起きる *妻が人質に取られるような事態になったら *玉を殺してお前たちもみな死ね *留守居の家臣に命じて忠興は出陣し、その予測は的中した ☆挙兵した石田三成は家来を派遣して細川邸を囲んだ *玉は家中の女性たちを逃がしたあと *死に就き家臣たちも自害した *玉が逃がした女性には、彼らの長男、忠隆の嫁、千世もいた ☆戦いから戻った忠興 *玉一人を死なせた嫁を責め忠隆に離縁を迫った *父と同様に妻を愛していた忠隆がそれを拒むと *忠興は忠隆を廃嫡に処した                        (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『THEMIS9月号』細川忠興夫婦の苦悩(ネットより画像引用)

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