メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

友人 

2021年09月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 秋の夕暮れは、百人一首から詩を引き合いに出すまでもなく何となく物悲しい。折角コロナの新規陽性者が減り始めたのに、最近は池袋界隈で閉店する店が急増してるように感じられ、その思いが一層つのる。寂しさは人によって感じ方が異なるだろうが、個人的に言えば他人との会話が無いのが一番切ない。家族が居なくなって独居生活に陥ったのは正に不徳の致すところで仕方ないが、朝から晩まで無言の行は坊主ならぬ身にとって厳しすぎるとも言える。この環境の中で、有り難いのは友人とのつながりをネットで確認できること。でもこれが可能なのは大勢居た友人の中で限られた人数になってしまった。昔から「友を選ばば、書を読みて、六分の侠気、四分の熱」とされているが、全くそういう事は無くて、酒盃を傾けながら談論風発出来さえすれば相手は問わずと、実に無定見だから一種の友達中毒のようなものだ。よくこの欠乏に耐えていると自分でも感心している。話が飛躍するが、いま日本で僅か400人足らずの政治集団の親方選びで大騒ぎになっている。なりたい人間は結構いるようだ。政治が国家国民のためにあるなら、なりたい人間があるべき国家像を示せばことは簡単に済みそうだが、政治集団と言えば聞こえは良いが、ある種の利権集団だから、分前配分の思惑が先立ち、絞り込みが大変らしい。当然のことで、利益配分となれば友人もへったくれもあったものじゃない。昨日の友は今日の敵だ。この騒ぎをマスコミが張り扇で囃し立てるのだから、子供だけでなく大人の教育にも芳しくない。これは与党のことだが、野党も似たようなものかもしれぬ。およそ政治の世界には友人と言う言葉は存在し得ないのかもしれぬ。先週3日に寺田寅彦氏の随筆から「大臣にも富豪にもならずにすんだ」との言葉を引用させてもらったが全くその通りで、政治家や金持ちになれない僻みと取られるかもしれぬが、小市民で良かった。権力や大金は掴んだことがないので当たらぬかも知らぬが、若い時ならいざ知らず、この歳になると何より大事なのは健康。いつもどおりに目覚め、いつもどおりに飯を食い、いつもどおりにぐっすり休む。その合間に「おはよう」「いただきます」「おやすみ」なんて声を掛ける相手がいればなお良いが。お金は、孫が学校に行ってる限り、彼らにささやかなお年玉を上げることが出来れば十分だろう。あとは友人との談論風発、これがある限り誰がなんと言おうと我が人生は充実したものになる。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ