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満天姫(まてひめ)女性の鑑 

2021年08月23日 外部ブログ記事
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?満天姫(まてひめ)女性の鑑 ☆波乱万丈の生涯を送った家康の養女 ☆福島正則の養嗣子へ嫁いだ後、津軽信枚に再嫁した *自らを押し殺して「女性の鑑」となった?満天姫の父の松平康元は家康の異父弟 ☆津軽信枚の正室満天姫、父は松半康元 ☆松半康元 *徳川家康の生母伝通院 *家康の父と離別した後久松家に再嫁して産んだ男子 ☆徳川に敵対した三成の娘を津軽家は抱え続けた ☆徳川家康は豊臣秀吉の没後、天下取りの下準備として *豊臣大名との婚姻を積極的に行っている ☆福島正則との縁組みで、満天姫は伯父家康の養女となり *正則の養嗣子・福島正之に嫁いだ *正則は関ヶ原では東軍として活躍 *戦後広島50万石の大大名 *彼女の輿入れは大成功だった ☆福島正則に子供がなく、姉の子正之を後継者にした *その後、正則に実子忠勝が誕生した ☆結果、福島正之は乱行で幽閉された(実子誕生が要因) ☆満天姫は母子ともに徳川家に帰された?三成の孫を後継者にした信枚 ☆家康は満天姫を津軽信枚に再嫁させた ☆新しい夫、津軽信枚には石田三成を父とする妻辰姫がいた ☆満天姫が津軽に輿入れすると、辰姫は上野国の津軽領に移った ☆徳川に敵対した三成の娘を津軽家は抱え続けた ☆信枚はさらに驚くべき行動に出る *辰姫と満天姫は、同じ頃に男子を産んだ *三成の孫に当たる辰姫の子を後継者とした ☆信枚は寛永寺を創建した南光坊天海の弟子 *屋敷も上野に建て、家康―天海―藤堂高虎の「上野グループ」 *外様であってもかなり思い切ったことができた ☆幕府は、広島藩主である福島正則を潰しにかかった *小さな瑕疵をいい立てて、領地を大幅に削る *本州の最北、弘前への国替えを命じた *津軽家は信濃・川中島に移るように内示があった ☆福島め、満大姫を輿入れさせたのに酷い扱いをした因縁から?子・大道寺直秀には毒殺説が… ☆津軽家の方では、単純に喜べなかった *国替えには莫大な資金が必要になる *天海を通じて運動し、この移動を握りつぶした *福島正則が、川中島に移された ☆福島の話はこれで終わりにならなかった *川中島に移った後も福島家は禄を減らされた *正則の死とともに大名の格も失う ☆満天姫が福島正之との間に産んだ男子 *彼は津軽家の家老、大道寺家に養子として迎えられた *大道寺直秀を名乗っていた ☆自身が大名・福島家を再興しようと各方面に売り込みを始めた *直送江戸へ上って、福島家再興を訴えるといい出した *江戸に出発するに際して満天姫に別れの挨拶に訪れた直秀 *ここで突然の死を迎える *出された酒を飲むうちに苦しみだして急死した *この一件には毒殺説がささやかれている ☆満天姫は弘前で生涯を終えた *彼女は自らを押し殺して、津軽家のために尽くした *儒教が教える女性の鑑である満天姫 *儒教が浸透していない時代に、こんな女性がいるのだろうか *波乱に満ちた人生を送った女性だった                    (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『THEMIS8月』満天姫(まてひめ)女性の鑑(ネットより画像引用)

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