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平成の虚無僧一路の日記

御巣鷹山日航機墜落事故から36年 

2021年08月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



オリンピックとコロナのバカ騒ぎで、広島・長崎の原爆も終戦も、御巣鷹山日航機墜落事故もぶっ飛んだか。テレビではほとんど報道されなかった。
日航123便墜落の真相
元日航客室乗務員青山透子さんが当時の新聞や、関係者への取材などをもとに「なぜ日航123便は墜落したのか」というテーマを執拗に追っている。

5つの「なぜ」。
第1の「なぜ」。「後部圧力隔壁損壊」が事故原因とされたが、圧力隔壁が損壊したら機内与圧が急激に低下し白い水蒸気のような気体が充満し、乗員、乗客は気を失う。とても遺書を書くことなどできない。
第2に、「墜落現場の特定がなぜ遅れたか」。複数の人の通報で墜落現場は特定されていたのに、二転三転した。それは御巣鷹山に誰も近づけないようにしたのではないか。
第3の「なぜ」は、救助の遅れ。
米空軍の中尉が、123便の緊急無線を傍受。御巣鷹の尾根に煙があがるのを目撃し、すぐに米軍の救難チームのヘリが厚木基地から現場に向かったが、在日米軍司令部から「日本側が現在現場に向かっているので帰還せよ」という命令を受け帰還している。
生存者の落合由美さんは、「救助ヘリコプターが上空で回っているのがわかった。手を振ったが気付いてくれなかった。自分の周りでは数人の子どもたちの声が聞こえたがそのうち聞こえなくなった」と述べている。このヘリは米軍機だったのか。
いやその後、自衛隊のヘリも到着していた。バイクで午前4時頃現場にかけつけた男性の証言。「現場にはすでに自衛隊員が来ていた。その時点で何人かまだ生きていた。生存者を見つけては自衛隊員に知らせたが、彼らは「後から来る隊員が救助するから動かすな」と、そして何か探し回り袋に入れて回収していた。
朝9時頃当地区した地元消防団員たちは、「自衛隊員が山の上から降りてきた。彼らはいったい何をしていたのか」と証言している。
第4に、なぜ遺体は黒こげだったのか。ジェット燃料は主翼内のタンクに入っているが、大気中に出るとガス化しやすく、煤(すす)も出にくい。にもかかわらず、主翼の燃料タンクから遠いところに投げ出された遺体が炭化している。黒こげ状態が激しかったという。
遺体の歯形で本人確認を行った歯科医師の大國勉氏の証言。「私は群馬県警察医として千体ほど焼死体を見てきたが、それでも歯は『すす』で黒くても、裏側や一部は白いままだし、骨もそこまで燃えていない。なのに、あの事故では骨の奥まで炭化するほど燃えていた。…二度焼きしたような状況だ」と。周囲の木々が幹の中までは燃えていないのに、遺体だけが骨の芯まで焼かれているのはなぜか。

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第5に、123便墜落の決定的な「なぜ」である。父母と妹の3人を失ったA氏から提供された写真。そこには窓の外にオレンジ色の円錐もしくは円筒のようなものが写っていた。

低空で飛んできた123便を目撃した女性。「胴体の一部にオレンジ色のものが見えた」と。
そして現場からオレンジ色の金属破片が採取されている。

これが動かぬ証拠。
日航123便は、当時相模湾で自衛隊がミサイルの実験をしており、その標的弾が123便の横腹に突き刺さった。その標的に向かってミサイルが当たり尾翼が吹き飛んだ。自衛隊はそれを隠蔽するために、御巣鷹山で一晩中、ミサイル部品の回収と生存者の殺害を行ったのではないか。
さらには、これはミサイルの誤射事故ではなく、故意に撃墜されたという陰謀論まで湧き出している。おそろしや。
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