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東京五輪会場の国立競技場は明治天皇の大葬儀が行われた場所だった 

2021年07月23日 外部ブログ記事
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1985年〜1991年まで「バブル」時代でしたが、東京五輪2020の選手村も「バブル」が破れてしまいました。そもそも五輪主催者の東京都は分譲マンション「晴海フラッグ」販売をすすめ、オリ・パラ期間中だけ選手村とするゼネコンとデベロッパーだけを儲けさせるバブル時代の発想でした。築地市場跡地の開発計画や晴海五丁目西地区第一種市街地再開発事業を見ると、小池百合子都知事は「ゼネコンファースト」「大手デベロッパーファースト」と、ハンドルを大きく切りました。
「選手村の整備(大会後のまちづくり)」
『都は、晴海五丁目西地区第一種市街地再開発事業に平成28年4月に着手し、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「大会」という。)の選手村の整備と、大会後のレガシーとなるまちづくりに取り組んでいます。大会時には選手用の宿泊施設として一時使用し、大会後は住宅となる建物等について、特定建築者制度を導入し、民間事業者の資金と開発ノウハウを活用して整備を進めています。大会後のレガシーとなるまちづくりに向けて、都心から近く海に開かれた立地特性を生かして、子育てファミリー、高齢者、外国人など多様な人々が交流し、いきいきと生活できるまちづくりを進めていきます。加えて、水素をまちのエネルギー利用として先導的に導入するなど、環境先進都市のモデルとなるまちの実現に向けた取組を推進していきます。』


更には、神宮外苑の国立競技場は明治天皇の大葬儀が行われた場所でもあります。明治天皇は、1912年(明治45年)7月30日午前0時43分に崩御し、大喪儀は1912年(大正元年)9月13日に東京・青山練兵場内の葬場殿で行われました。その後明治神宮が東京代々木に鎮座しました。

現在のJR信濃町駅と千駄ヶ谷駅間の中央快速・総武線の線路南側にあった青山練兵場(現在の神宮外苑)と線路北側の輜重兵大隊(現在の慶応大学病院と新宿区立第四小学校)のための軍用駅として、「青山軍用停車場」を敷設しました。これとほぼ同時に甲武鉄道市街線(新宿駅 ⇔飯田町駅間)の工事も行い、1894年(明治27年)に路線が開業しました。この軍用停車場跡は英照皇太后および明治天皇の大喪の礼の際に2度にわたり、「青山仮停車場」として霊柩列車を京都の桃山駅へ奉送運行する際に使用されています。
明治天皇御大葬青山葬場殿全景,、歩兵第三聯隊記念寫眞帖、明治神宮外苑志より





桃山御陵へ棺を運ぶエレベーター

(了)
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