生命系の進化論

5.4.6日本国における独占欲の構図 

2021年07月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:生命系の進化論

  
 では、彼らが金稼ぎに走りまわる理由や、彼らが望んで、子供に託した夢は何であろう。

 権利主義という言葉が叫ばれだしたのは、つい最近であろうか。戦前までは、大衆の全てが権利主義の言葉に振り廻されなかった。というのは、その時代以前は、情報のマスメディアが発達せず、大衆の人間としての権利意識は薄かった、と推定される。素直な大衆は、漁業、林業に携わっている者であれ、村落社会という閉鎖的社会、東洋的風土環境によって、各自の権利を認識する事は、ほとんど不可能であった。

村の子供は、村外の人々と、どの程度の交流があったのだろう。おそらく社会の情報を得る事ができたのは、リーダと、その一部の人々のみである。その他の者は、先祖代々の職業を引き継ぐ事となる。庄屋(リーダ)、あるいは大家の生活ぶりがよかったところで、大衆は幼い頃から羨ましく思うものの、それが当然の事と認識し、疑問にさえ思わない。

 動物の世界にも、それは見られる。地位の高い雌猿の子供は、生まれつき母猿の庇護のもとに、上位の地位につく。人間はその延長線上に在る。

東洋においては、家元制に代表されるように、地位の高い者がピラミッドの頂点に立ち、下部の者から上納金と称してお金を巻き上げる。会社などの組織においてもしかりである。食欲の項でも述べたように、東洋思想の悟る、悟らせるという概念を巧みに転用し、下部構造からモノのアイデアを吸い上げようとする。

責任体制は、表向き上司にある。したがって、金の儲かる発案は上司が吸い上げていく。失敗、および恥であったような事柄は、部下のせいにする。秘密事項についても同様である。上司は、自分を守るための多くの秘密を知っており、会社の流れの変化にすばやく対応する。部下は何も情報はなく、会社の流れに素早く対応する事ができない。

したがって、上司が会社の流れに乗るために、不必要となった部下を見捨てる事ができても、部下は、見捨てるという決定が下された後に、知らせられるのみで、対応する策がない。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR

上部へ