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平成の虚無僧一路の日記

6/22 奥羽列藩同盟成立 

2021年06月22日 外部ブログ記事
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今日は何の日。6月22日は旧暦の5月3日。慶応4年(1868)の今日、奥羽列藩同盟が成立。5月6日には長岡・新発田等越後の藩も加わる。それで後世の史書では「奥羽越列藩同盟」と書くが、そのような同盟が交わされたことはなかった。
正月の鳥羽伏見の敗走。徳川慶喜の恭順謹慎、江戸の無血開城によって、薩長新政府としては、振り上げた刀をおろす先を会津・荘内二藩に向けた。新政府の武威を示さねば明治の新政府は務まらなかった。
会津藩としては徳川慶喜同様ひたすら恭順の意を示したが、新政府は無視。あくまで武力攻撃の姿勢を曲げなかった。
閏4月11日、奥羽14藩は仙台藩領の白石城において列藩会議を開き、会津藩・庄内藩赦免の嘆願書「会津藩寛典処分嘆願書」を奥羽鎮撫総督に提出した。しかしこれが却下される。
世良修蔵の暗殺

奥羽鎮撫総督府の下参謀世良修蔵は、開戦の口実を作る為、仙台藩家老を愚弄し「奥羽皆敵」との感情をむき出しにした。それに激昂した仙台・福島の藩士が世良修蔵を惨殺した。
これによって新政府軍の会津・荘内攻撃は決定的となり、会津・荘内救援のために、奥羽23藩による盟約書が調印された。翌4日には、越後長岡藩が、6日には新発田藩等の北越同盟加盟5藩が加入し、計31藩による奥羽越列藩同盟が成立した。

奥羽越列藩同盟の旗、五芒星の謎。この旗がいつ誰によって作られたのかは、全く不明。戦闘で掲げられることは無かったかと思われる。
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