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東京新聞こちら特報部「『城南大空襲』毒蝮三太夫さんが見た惨状」 

2021年05月21日 外部ブログ記事
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今朝の東京新聞こちら特報部に「『城南大空襲』毒蝮三太夫さんが見た惨状」があったと、友人の川口重雄さんからメールがありました。毒蝮さんは管理人より一つ年上ですが、学童疎開に行かず、1945年5月24日の城南空襲で一家が猛火の中を逃げた体験を近著「たぬきババアとゴリラおやじ」に記したことが紹介されています。その記事中に生々しい描写がありました。
『 だが、空襲から一夜明けて毒蝮さんが目にしたのは、一面の焼け野原だった。逃げ遅れた人たちの死体もそこらじゅうにあった。「おふくろと家に帰ろうとしたんだが、目印が何もなくなっちゃった」? 方角を頼りに自宅に戻る途中、少年用の靴が落ちていた。自分の靴が焦げていたので履き替えようと手に取ると、片方が重い。中に足首が入っていた。? 「持ち主の少年は、爆風で飛ばされてしまったんだろう。俺は足首を取り出して靴を持ち帰った。怖いとか悲しいとか、そんな感覚は無かったよ」。ひささんはも何も言わなかづたという。「履いていた子に『息子が代わりに履いて生きていくのを許してください』と思っていたかもな」 トタン板でふたをしたままの防空壕も見つけた。ひささんが板を外し、座っていた五人ほどに「空襲、終わりましたよ」と呼びかけたが、返事がなかった。「目を閧けたまま死んでいた。酸素が足りなくて窒息死したんじゃないか」』
この東京大空襲を指揮した米軍ルメイに叙勲を授与した驚くべき事実をBlog記事『東京大空襲のルメイ叙勲は、元総理小泉純一郎の父防衛庁長官小泉純也が推奨した』を、更にWikipedia「東京大空襲」と戦災資料センター「東京大空襲」もご参照下さい。
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(了)

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