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平成の虚無僧一路の日記

会津の「御式内」伝承者 

2011年09月05日 外部ブログ記事
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会津藩には、藩主はじめ重臣、小姓たちが修める
「御式内」という護身術があった。

筆頭家老の「西郷家」がその伝承者であり、その
養子となった「西郷四郎」も「御式内」を少しは
継承していたであろう。

しかし「四郎」は、嘉納治五郎の「柔術」から「柔道」
に目覚め、「講道館の四天王」と呼ばれるまでになった。

西郷四郎という後継者を失った会津「御式内」は、
西郷頼母から、会津のお抱え力士の家に生まれた「武田惣角」に、
「大東流柔術」として伝えられることになる。

この「武田惣角」の弟子が「植芝盛平」であり、植芝の
弟子が「富木謙治」である。今日、合気道と名乗る各流派は、
この三名のいずれかを始祖と仰いでいる。

すなわち、会津のお家芸「御式内」こそは、今日の合気道の
源流であるそうな。

「植芝盛平」の映像はYou-Tubeでも見られる。1935年の
白黒フィルム映像だが、5尺の小柄な老人が、次々と
襲い掛かる壮年をバッタバッタなぎ倒す。すごい技だ。

「植芝盛平」は、和歌山県田辺市の生れ。1915年(大正4年)
31歳の時、所用で訪れた遠軽の旅館で、大東流の「武田惣角」に
出会い、その技に衝撃を受け、その場で入門、宿泊を一月
延長し、指導を受けた。

「武田惣角」は当時すでに54歳・身長150cmに満たない小柄な
体ながら、豪腕の「植芝」を多彩な極め技で捻じ伏せたという。

「植芝盛平」は、翌 1916年(大正5年)33歳。田辺市白滝に
道場を設けて、武田惣角を招き、村の有志十数人と共に 熱心に
学び、「秘伝奥儀」の免許を授かる。

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