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平成の虚無僧一路の日記

姿三四郎のモデル「西郷四郎」 

2011年09月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



姿三四郎のモデルは、柔道四天王のひとり「西郷四郎」だが、
彼が会津人であることは、知る人ぞ知るだ。

「姿三四郎」。名前はステキだが、実在の「西郷四郎」は
身の丈5尺(50cm)に満たない「会津の山ザル」。

西郷四郎は、慶応二年(1866)、会津藩士志田貞二郎の三男
として生まれた。三男なのに「四郎」それで「三四郎」??

2歳の時、戊辰戦争となり、津川に避難していた。会津藩士は
家族一丸となって玉砕したかと思いきや、会津から50kmも
離れた新潟県阿賀野町津川まで疎開していたのだ。津川は
今は新潟県だが、江戸時代は会津藩領だった。

明治元年の戊辰戦争に敗れた会津藩士は、多く故郷を捨て、
下北半島に移住したが、生計成り立たず、北海道や東京に
移った。志田家もそうだったのか。四郎は、明治15年(1882)、
17歳で 講道館に入門した。この時はま だ旧姓の「志田四郎」。

翌16年には、富田常次郎と共に 初段になる。その素質を
認められてか、翌17年、元会津藩家老「西郷頼母」(1830〜1903)
と養子縁組をし、「西郷四郎」となった。明治19年には、
五段に昇進する。

この年、「警視庁武術大会」で 西郷四郎は 楊心流戸塚派の
昭島太郎を下し、講道館柔道が、警察官必修科目として、
警視庁に採用されることになる。

こうして、「西郷四郎」は「講道館の四天王」と呼ばれる
ようになる。その「四天皇」の一人、同期の「富田常次郎」
(1865-1937)の子が、「姿三四郎」の原作者「富田常雄」
である。

なお、黒沢明の監督としての最初の作品が「姿三四郎」。
昭和18年(943)年公開。

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