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高輪築堤をユネスコ文化遺産に登録 「土木と建築の融合開発ビル」に設計変更を 

2021年04月02日 外部ブログ記事
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「鉄道に与えられたこの使命は、100年たった現在でも変ってはいない。国鉄は商売ではないのである。」
『生まれて間もない政府はおよそ200万円程の歳入しかないのに、外債を募集し国内資金調達に苦労し、建設費だけでも約300万円の大金を投じて行なった日本の命運をかけた大事業の完成開業なのである。日本の鉄道は諸外国の鉄道のように採算を考えてつくったのではない。新生日本の将来のため、鉄道をつくることがどうしても必要なのだ、かくすることが国にも国民にも為になる、鉄道はその先駆者であり牽引車であるということでつくられたのである。だからこそこの100年間、災害で山崩れがあればそこまで列車を進め、橋が落ちて渡れない河があればその橋のたもとまで列車を走らせ、自分の家が洪水に流されようとも職場にかけつけ、妻が危険であってもハンドルを握って、汽車を走らせてきたのである。国民大衆のた めの奉仕でなく採算を考えて出来る業ではない。鉄道に与えられたこの使命は、100年たった現在でも変ってはいない。国鉄は商売ではないのである。明治維新を成し遂げた人たちが、新生政府にあってこの開業式を重大な区切りと考え、盛大な式典を横浜・新橋の2筒所に陛下の行幸をお願いして挙行したのはこのためであった。』と、旧国鉄時代の東京南鉄道管理局が編輯した「汐留・品川・櫻木町驛百年史」の中で、彼らは鉄道マンとして誇らしげに謳っています。
安倍晋三元総理は「明治150年」だと大騒ぎして、明治日本の産業革命遺産として萩反射炉、萩城下町、松下村塾までユネスコ文化遺産に登録させましたが、新橋停車場と共に高輪築堤をユネスコ文化遺産に登録させるべきでしょう。佐賀県知事は、萩生田文科大臣との面会後の記者会見で県職員を文化庁に派遣させると表明しました。JR東日本に再開発工事をストップさせ、一階エントランスに高輪築堤を保存した「土木と建築」の融合再開発ビルに設計変更させる任務を、佐賀県派遣職員に与えて欲しいと考えています。
「撮り鉄」、「乗り鉄」の鉄道マニアの皆さんも「鉄道唱歌汽笛一声」の新橋⇔横浜間鉄道第一号“高輪築堤”のために、世論を盛り上げましょう。
線路3線だった高輪築堤の海側を埋め立て、4線から6線化が完了したのが大正10年です(鉄道博物館調べ)。敷設した工事記録は明治期鉄道史資料 (鉄道局(庁)年報?などから慎重に調査をすれば、高輪築堤と東海道線、京浜東北線、山手線の線路の工事状況が掴めます。JR東日本は、それらの事実を知りながら2013年から開発計画を進めたことになり、調査不足は絶対に否めません。
鉄道博物館ライブラリーは4月1日に、大正3年4線化、大正10年6線化の山側工事が完了した史料があると回答してきました。川上資料の写真によれば明治39年には、築堤で3線化しています。
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港区教育委員会「高輪築堤」から管理人が作図。

「田町付近を走る貨物列車 機関車はボールドウィン 明治39年頃まだ埋立前で左に石垣(高輪築堤)の海岸線が残る。」(川上幸義の東海道線創業史)より。

港区教育委員会「出土の経緯」から

Googleマップから作図

港区教育委員会「出土の経緯」から

錦絵に見える手前の運河を埋め立て、大正10(1921)年に線路を6線にしました。
港区教育委員会「出土の経緯」から

(了)

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