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平成の虚無僧一路の日記

親鸞の心の闇 

2011年09月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



8/31 中日新聞 五木寛之『親鸞』

親鸞は「もの心ついた頃から、ずっと心に闇を
感じて生きてきた」という。

「母と子を捨てて家出をした父をうらみ、いつも
けわしい目をしていた母をおそれ、伯父の家に
預けられて居候の身をはずかしく思い、弟たちを
足手まといと感じる自分を憎んだ」と。

そうか、親鸞はコンプレックスの塊だったのだ。
比叡山に登っても、身分の高い学生(がくしょう)を
ねたみ、荒々しい堂衆や僧兵らをうとんだ。

親鸞は、エリートではなかったから出世の道も
閉ざされていた。といって僧兵にはなれない。
自分に絶望していた時、心は黒々とした まっ暗闇の
中にあった時、法然に会い、月の光に照らされた
ような心持になった。

「月が照ったからといって、背負っている荷物が
軽くなるわけでもない、遠くに横川の燈が見えた
からといって道のりが近くなるわけでもない。
だが、私は、歩きだすことができた」

なるほど。念仏は「月」のようなものか。

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