メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

葵から菊へ

「原爆で全滅した移動劇団櫻隊」を今に現在に引き継ぐ「移動演劇桜隊平和祈念会」がHPを開設 

2021年02月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



日比谷高校二部演劇部の後輩が1月27日の東京新聞夕刊の記事を送ってくれましたので、早速この移動演劇桜隊平和祈念会にメールを送信しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<文字お越し>?
 第二次世界大戦末期、公演中の広島市で原子爆弾に被爆し、メンバー19人全員が亡くなった国策の移動劇団「桜隊」の悲劇を語り継ぐ活動をしている「移動演劇桜隊平和祈念会」(事務局・東京都中央区)がホームページ(HP)を開設した。取りまとめ役の劇作家榎本明仁さん(45)は「コロナ禍で活動が難しいが、ステイホームの機会に若い人たちに知ってほしい」と呼び掛けている。(岩岡千景)
 桜隊は、演劇を通じた戦意高揚のために内閣情報局が主導して結成された20〜40代の若手、中堅俳優で構成し、出身母体も新劇、宝塚歌劇団、映画会社の日活など多彩だった。 代表的なメンバーに、戦前を代表する新劇俳優で幅広い役柄を演じ「新劇の団十郎」と呼ばれ隊長を務めた丸山定夫(1901〜45年)、元宝塚スターで、43年公開の大ヒット映画「無法松の一生」でヒロインを演じた園井恵子(13〜45年)らがいた。 東京で空襲が激しくなったため、地方を巡演していた45年8月6日朝、広島市の宿舎で被爆する。5人が即死。丸山は被爆に苦しみながら、敗戦の報を聞き「いい芝居をやりましょう」と言いながら16日に死亡した。 隊員の高山象三は20日、園井は21日に死亡。仲みどりは帰京したが24日に東京帝大病院で死亡し「原爆症第一号患者」となつた。 丸山と同じ劇団に所属したことがある俳優徳川夢声(1894〜1971年)の呼び掛け後、戦後、東京都目黒区の五百羅漢寺に慰霊碑が建てられ、毎年、追悼法要が営まれてきた。劇団関係者らでつくる「桜隊原爆忌の会」が法要に合わせて追悼会もしてきたが、メンバーの高齢化などで継続が困難に。 このため昨年、若手も加わり祈念会へと組織を刷新。「桜隊」の名で俳優三人による劇団を新たに結成し、戦争をテーマに公演しつつ桜隊を語り継ぐことにした。 新しい桜隊隊長で俳優の椎名友樹さん(45)は「最後まで演じることを捨てなかった気持ちを継ぎたいと参加した。コロナ禍が思いのほか長く続き、見えない恐怖と闘い、自由に活動できない今の状況は当時と重なると感じる。今夏の公演を目指し、平和や幸せについて考えるような芝居をしたい」と見通す。? HPは、英語でも桜隊を紹介。新たな桜隊の公演などの情報も載せていく。遺族や演劇関係者らが寄せてきた活動支援の協賛金(寄付)を一般から募ることにし、口座も案内している。?榎本さんは「今後、フランス語や中国語などでも紹介し、海外にも広く平和を訴えていきたい」と強調している。? アドレスはhttps://sakurataiidouengek.wixsite.com/kinenkai
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
移動演劇桜隊平和祈念会御中鎌倉市の友人から1月27日付け東京新聞(写し)が届きました。
「丸山定夫のレリーフ」のBlog記事をご参照下さい。
73年前の8月6日広島で全滅した移動劇団さくら隊移動劇団“桜隊”も原爆で全滅「新藤兼人監督のメッセージ」“さくら隊散る”鎌倉市で上映会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長谷川順一様こんにちは。メール、ブログともに拝読いたしました。移動演劇桜隊平和祈念会事務局の榎本と申します。私は以前、港南台に住んでいたので、時々、妙隆寺に行っておりました。丸山碑には2019年の夏に行ったのが最後ですが、そのうち新しい桜隊の面々と訪ねたいと思っております。本年8月6日、2018年より休止となっておりました桜隊追悼会ならびに新しく結成された移動演劇桜隊の初演を準備中(朗読劇)です。ホームページやSNSを通じて、随時、最新情報をお報せ致します。https://sakurataiidouengek.wixsite.com/kinenkai
この度はご関心を頂戴いたしまして誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。桜隊平和祈念会(旧原爆忌の会)事務局 榎本明仁
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「桜隊原爆忌の会」がメンバーの高齢化などで継続が困難になったが、若い演劇人がバトンタッチをしてくれた朗報に接して喜んでいます。
(了)
?
?

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ