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慶喜

聖地に残る怖い信仰3(高野山の墓石群) 

2021年01月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?高野山の墓石群、納骨の風習の名残り??空海の開山前から聖地だった ☆高野山は、弘法大師空海が朝廷の許可を得て開いた *高野山は、真言宗の特に重要な神聖な場所 ☆高野山一帯は、空海の入山前から聖地として敬われていた *古くから山岳信仰の聖地だった *役小角が修験道の修行場を開いている ☆丹生(にう)氏が信仰した「丹生明神」空海にも影響を与えた ☆空海が丹生氏の神を敬った要因 *水銀利権を得るためだった可能性がある *水銀は、当時化粧品や薬の原料として高値で取り引きされていた *丹生氏は高野山一帯の水銀発掘の利権を握っていた *空海がそこに目を付けたのでは?空海が生きている奥の院 ☆高野山の中心部には真言宗の総本山金剛峯寺 *高野山には、117もの寺院が建ち並んでいる ☆高野山で最も重要な聖地が「奥の院」 *奥の院は空海が入定した場所である *当然ながら本当に空海が生きているわけではない ☆空海が入定したという記録は空海の死から130年後に生まれた ☆空海入定伝説が生まれた理由 *高野山は、宗派内の主導権争いに敗れて荒廃した *高野山の広報戦略として、空海入定伝説をつくり上げたのでは??高野山の20万基は、山中納骨の名残 ☆奥の院には、 一の橋から御廟橋の間に墓石群が広がっている *その数は20万基を超える *墓石群は空海の御廟にあやかつたというのが通説だが *墓石群は、古代の山岳信仰と関連付ける説もある ☆長い間、日本人は山を異世界だと考えていた *山は死者の遺骸や遺骨を捨てる非日常的な空間 *山中には死者の霊が宿っていると信じられていた(山中納骨) *この風習が完全に廃れたのは、墓石が普及した明治以降 ☆高野山への納骨が定着した要因は、幕府の政策によるのでは                    (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください?出典、『本当は怖い日本の聖地』聖地に残る怖い信仰3(高野山の墓石群他)

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