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起点は日本橋から東京駅へ「歴史のダイヤグラ厶 ? 原武史」 

2020年11月16日 外部ブログ記事
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朝日新聞「Be版」11月14日(土)
起点は日本橋から東京駅へ
?歴史のダイヤグラ厶? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?原武史
 東京都中央区にある日本橋が架けられたのは、徳川家康が江戸に幕府を開いたのと同じ慶長8(1603)年とされている。翌年には早くも幕府直轄の主要な五街道の起点として定められ、沿道に日本橋からの距離を示す一里塚が築かれた。? つまり江戸時代には、日本橋を中心とした全国的な交通システムがすでに確立されていたわけだ。この点で日本橋という名称は象徴的だった。文政9(1826)年に江戸に参府したドイツ人医師のシーボルトは、「日本という大きな島国では距離はみな日本橋という江戸の大きな橋から測る」(『江戸参府紀行』)と述べている。(略)
 だが明治以降、街道に代わって鉄道が発達する。当初は官設鉄道の新橋のほか、日本鉄道の上野や甲武鉄道の新宿(後に飯田町)など、ターミナルが分かれていた。第8代東京府知事となった芳川顕正は市区改正意見書のなかで、新橋や上野に代わる中央停車場の設置を唱えた。中央停車場は日本橋とは異なり、旧江戸城西の丸に建つ皇居(明治宮殿)と道路を通してつながることで、天皇のための駅として位置付けられた。? 本丸御殿は再建されず、皇居は濠の外側からは見えなかった。中央停車場は1914(大正3)年に東京駅として開業する。その赤レンガの駅舎は、本丸御殿に代わって全国の中心がどこにあるかを明示していた。? 東京駅の各ホームからは、「〇キロポスト」と呼ばれる起点標が眺められる。日本橋を中心とする江戸時代の交通システムが、ここに受け継がれている。それだけではない。中央に皇室専用の出入口を有する東京駅丸の内駅舎こそ、植民地や「満州国」を含む帝国日本に君臨する天皇の威光を可視化する建築物となったのである。(政治学者)

東海道新幹線の起点標(〇キロポスト)横に停車する試運転列車。現在の〇キロポストは形を変えていて、当時のものはレプリカが鉄道博物館(さいたま市)に展示されている。1964年7月、東京都千代田区丸の内の国鉄東京駅
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現在の新幹線東京駅〇キロポスト




管理人も東京駅は日清・日露戦争勝利に勝利した「明治国家の記念碑」としてつくられたと考え、これまで何回も「東京駅と皇居外苑歴史散策」を企画・催行してきました。
「東京駅と皇居外苑歴史散策」の説明パネル


ベックマンが設計した東京駅案

バルファーの設計図







甲武鉄道飯田町駅〇キロポストのモニュメント(飯田橋アイガーデンテラス)


(了)

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