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平成の虚無僧一路の日記
ちえのわ倶楽部
2020年10月24日
テーマ:テーマ無し
日曜日の朝等に、子供時代に聴いたメロディーがふと頭の中をよぎる。昭和20年代の後半のラジオ番組「ちえのわクラブ」の主題歌である。ブログで調べてみると、この番組はラジオ東京(現TBSラジオ)の開局と同時に始まった子供向けクイズ番組。毎週日曜日の朝に放送されていた。最初の放送日は1951年(昭和26年)12月30日(日)。ちなみに、ラジオ東京の初放送は5日前の12月25日であった。「ちえのわクラブ」のスポンサーは、忘れもしない千代田生命。この会社の社史に「ちえのわクラブ」について何か書いてないだろうか。そんな思いをもちつつ、勤務先に近い東京商工会議所の地下2階の**に行って蔵書を検索してみた。
千代田生命は、2000年10月に経営破綻(更正特例法適用、債務超過額5950億円、AIGスター生命が保険契約の受皿会社)した。幸いに、これまで何度か社史を刊行している。早速参照してみた。最も古い『千代田生命50年史』(1955年)が充実していて、かつ「ちえのわクラブ」の時代をカバーしている。この中に約1ページ分の記述を見つけた。放送の都度流れていたテーマソング「ちえのわクラブの歌」の歌詞(ちえのわ ちえのわ らんららん・・)も、きちんと記録されている。司会をしていたのは、ボーイスカウト日本連盟理事、日本赤十字社参事という肩書きをもつ古田誠一郎という人物。ちょっと訛りのある人だったが、「子供の扱いがうまい」といった”特技”から司会者に起用されたのだろう。社史によると、千代田生命は、この年の6月に子供を対象にした新商品を発売している。このことが、東京での民放がスタートすると同時に「ちえのわクラブ」を提供することになる動機であろう。次に、TBSの社史『TBS50年史』(2002年)も参照してみた。こちらは『千代田生命50年史』に比べると発行年が50年近く後。本文は横組、写真も豊富である。全体にスマートでビジュアルな感覚で編集されている。「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」、「ぴよぴよ大学」等、初期のラジオ東京から流れていた懐かしい番組の写真が出ている。「ちえのわクラブ」についての言及も若干あったが、放送開始の時期の記述については、さしたるものはない。
実は、私が通っていた東京都世田谷区立守山小学校でも「ちえのわクラブ」公開録音があった。私も聴衆の一人として一部始終を目撃した。場所は、戦前に建てられた木造の講堂。多分、1957年(昭和27年)の寒い時期だったと記憶している。1957年12月頃とすれば、私は5年生だ。この日、当時の童謡歌手の大スター古賀さと子も来ていて、「ちえのわクラブ」のもうひとつのテーマソング「よいこはいつもほがらかに」を独唱した。首を振って歌う熱演ぶりが目に浮かぶ。公開録音中の強烈な記憶がある。講堂の後ろに積みあてあった椅子が、大音響とともに崩れたのだ。「大変なことになった」と思ったが、放送された時”大音響”はきれいに消えていた。当時でも、そのくらいの技術はあったのだろう。もうひとつの記憶は、番組出演のために古賀さと子等の童謡歌手が、校庭を横切って入ってきた時の風景だ。全員オーバーを着用していた。やや派手な色で、その姿は「まるでアメリカ人みたいだった」というのが私の印象だ。この時代、小学生はオーバー等は着用していない。大人の女性も今のようなオーバーは着用していない。少し前に町でよく見かけたパンパンガールたちはアメリカ人(女性)の着るようなオーバー姿でいたのかも知れないが、その記憶はない。「子供は、風の子」、当時の小学生たちは、多少の厚着で寒さを凌いだ。これが実態である。私が初めてオーバーを着用したのは大学1年のとき。自宅にあった大日本帝国海軍の軍人が着用したもの。これは叔父のお古である。以上のことから、古賀さと子等が着ていたオーバーを奇異の目で見た理由をお分かりいただけよう。
私が小学生時代、ラジオ番組「ちえのわクラブ」で童謡を歌っていた歌手たち。誰がいたのだろうか。古賀さと子、小鳩くるみが出演していたのは記憶にある。しかし、同じ時期に活躍していた安田*幸子・安田章子(由紀さおり)姉妹、近藤圭子、田端典子、伴久美子等も出ていたかどうかは、定かではない。童謡歌手に関して、近くの公共図書館(小平市中央図書館資料室、立川市立中央図書館)に行って、各種人名事典を参照してみたが、あまり情報はない。とりあえず、古賀さと子に絞って調査を試みてみた。最終的には大宅壮一文庫のお世話にもなったが、以下は私が調べた「古賀さと子ノート」である。
古賀さと子の本名は古賀達子。達子は、”さとこ”と読む。生まれは1940年(昭和15年)10月というから私の1歳年長にあたる。出身は東京・板橋区。以上は、『芸能人物事典 明治/大正/昭和』(1998年、日外アソシエーツ)から拾った。この事典には「小学校3年の昭和23年にビクターレコードに入り、童謡歌手として売り出す」とされているが、これは明らかなミス。計算が合わない。婦人公論(1973年10月号)に掲載された「近況・心境 毎日が学芸会でした 古賀さと子」よると、3歳の頃から歌っていて、小学校2年のときから池袋のサクラ子供会に通い歌の勉強を始めた。その時の先生が、ビクターに紹介してくれて、すぐビクターの専属になったという。単純に考えるとビクターの専属になったのは1948年(昭和23年)、小学校2年生のときということになる。これは本人の証言だから正しいと思われるが、「すぐ」がくせ者。ビクターに紹介されたのが小学校2年生の終わりの頃(そうなると昭和24年)で、専属になったのが3年生になったばかりというケースもありうるからだ。この辺りをきちんと究明しないと、大学時代のゼミの発表だとチクリとやられるが、とりあえずこれで止めておく。古賀さと子の最終学歴は1959年上野学園高校音楽科卒。「ちえのわクラブ」だけではない。古賀さと子は多方面で活躍した。NHKラジオの「ピー子、ポン太郎」のピー子役。「エスキモーの歌」、「ホッテントットの歌」等を歌う。NHKテレビ開局当日の1953年2月1日にも出演して歌う。そのことは、当日の新聞の番組表で確認できる。婦人公論に登場した頃、古賀さと子はステージへの出演が多かった。「家族ファミリーコンサート」といった子供向きから大人向き迄様々だそうだ。童謡だけでなく「ゴッドファーザー 愛のテーマ」等も歌っていたらしい。これ以外に週刊サンケイ(1969年3月31日)のグラビアページに古賀さと子は登場している。このとき28歳。この時期、銀座のコーラス喫茶で歌っていた。最後にちょっと驚いたことがある。古賀さと子の姉節子さん(故人)は、元アナウンサーで評論家田原総一郎夫人だったという。前記『芸能人物事典 明治/大正/昭和』にでていた。これを更に調べだすと「ちえのわクラブ」から脱線してしまうので、このあたりでやめておく。
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