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ビキニ事件、日韓関係、731部隊「駐米大使からアリソン駐日大使との打合せ内容を岡崎外務大臣に送った公文書」 

2020年09月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



太平洋核被災支援センター・ビキニ核被災検証会事務局から下記のメールが来ました。「731部隊関係者の戦犯」については分かりませんので「人骨の会」に依頼しましたが、情報をお持ちの方は「コメント」欄にご連絡ください。判読できない文字もありますが概要は次の通りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昭和二九年六月七日 岡崎大臣       井口大使
(アリソン大使との内話に関する件)
一七日アリソン大使に対する内話左の通り
一、ビキニ補償問題については本日午後(一八日帰任の答)もニクソン副大統領初め上院議員等に会見の予定であるが大体三億円に近いもので纏まる見込みであり又本件急速解決のため予算計上を避け mutual securlty fund? から支出することとなるべくこの点スタッセンの了解済み 【注】ビキニ環礁の水爆実験で被爆した第五福竜丸以外の漁船に対する一括補償金のこと。詳しくは「太平洋核被災支援センター・ビキニ核被災検証会」を参照してください。
二、日韓関係は進展なし暫く cool off する外ならん(本使よりジュネーヴにおける朝鮮問題決裂のため梁大使も近く帰任すべく話合を続ける積りなる旨話しおけり)【注】日韓基本条約交渉のことと推定します。参照サイト「日韓基本条約交渉」
三、戦犯問題については大量釈放は無理なるもクレメンシーボードにかける条件としての服役期間を短縮する等緩和措置を講じ漸次釈放のことに取計らいたく但し例えば生体解剖関係等人道上如何にしても許し得ざるケースは日本政府において国民に対して事情を明らかにし釈放出来ざる理由を発表することとするも一案なるべし
【注】「九大生体解剖事件」(青木書店刊:東京裁判ハンドブック)より1945年5月17日から6月3日のあいだに、アメリカ軍搭乗員俘虜8人を、西部軍の監視のもとに、九州帝国大学医学部で4回にわたって生体解剖をおこなった事件。この事件の裁判は、横浜法廷で1948年3月11日からおこなわれた。証人喚問は100人をこえ、新聞にも報道されて、世間の注目をあびた。同年8月27日、西部軍関係では元司令官横山勇中将ら2人、九大関係では鳥巣太郎元第一外科助教授ら3人が絞首刑、ほかに終身刑4人、重労働14人の判決がなされた。しかし、解剖された俘虜の肝臓を試食したという5人は、証拠不十分で無罪となった。判決後2年3力月たった1950年10月、再審理により、絞首刑の宣告を受けた5人全員が有期刑に減刑された。この事件は、遠藤周作の小説『海と毒薬』のモデルとなり、映画「海と毒薬」(1986年、熊井啓監督)も制作された。
四、(略)
配布先 大臣、次官、官房長、(略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お疲れ様です。外交史料館から取り寄せたビキニ事件政治決着関係資料(330頁)に、駐米大使からアリソン駐日大使との打ち合わせた内容を岡崎外務大臣に送った公文書がありました。戦犯釈放が議題となり、人体実験関係者に触れていますが、731部隊関係者には戦犯で収容された人はいなかったはずです。ビキニ事件の外務省折衝で、、戦犯釈放とガリオア借款問題と取引材料に使われたことを示す公文書と思います。さらに、裏づけ資料が、外交史料館で見るには、来館されると可能のように史料館担当者からききました。九州帝国大学医学部が米軍捕虜8人を生体解剖していますのでこの医師たちは戦犯で収容されているという情報も入りました。これから先は、私では無理ですので、ご教示、ご協力よろしくお願いいたします。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~山下 正寿   yamashita masatoshi〒788-0785 高知県宿毛市山奈町芳奈2779-2太平洋核被災支援センター・ビキニ核被災検証会事務局http://bikini-kakuhisai.jet55.com ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(了)

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