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安寿と厨子王丸 

2020年09月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?安寿と厨子王丸?由来 ☆人買いによって船で丹後に運ばれる安寿姫と厨子王丸 ☆中世に成立した説経節『さんせう太夫』が原作 *浄瑠璃などの演目で演じられてきた *それを子供向けに改変したもの ☆ゆかりのある各地で民話化している?あらすじ ☆奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族 *讒言で、筑紫に流された ☆本国の正氏の妻と、2人の子供(姉の安寿姫と弟の厨子王) *正氏を訪ね求めて越後の直江津にたどり着いた ☆人買いの山岡太夫の手にかかり *妻は、佐渡に、姉弟は丹後の山椒太夫にそれぞれ売り渡された ☆山椒大夫のもとで姉弟は酷使された ☆安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとし *罰として額に焼け火箸を当てられた *しかし地蔵尊のおかげで痕が付かなかった ☆姉弟は、再会を約して逃亡を図った *姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に *安寿姫は強く勧めて、弟が去った後 *自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった *その亡骸は村人により丁重に葬られた ☆厨子王は丹後の国分寺に逃げ込んで寺僧に助けられた *京都七条朱雀の権現堂に送られた *最後に、一家没落の経緯を朝廷に奏上した ☆判官正氏の罪が赦された上に旧国を与えられた *讒言者の領地は没収されて厨子王に下賜された ☆安寿姫の霊はその後も母と弟を守護した ☆厨子王は、領主となった丹後に行く *かつて匿ってくれた国分寺の僧侶に謝し *山椒大夫とその子三郎とを鋸挽きの刑に処し *また越後で山岡太夫を討ち取った ☆報恩と復讐を果たした厨子王 *生き別れた母の行方を求めて佐渡にたずね歩く *老いた瞽女が鳥を追う唄をうたっているのに巡り会った *厨子王は、これぞ母と知り、駆け寄りすがりついた ☆うれし涙に、盲いた母の眼は開き、母子は再び抱き合った?歴史的背景 ☆歴史上では、架空の伝説である ☆「散所の民」とは *権力者の領地荘園から脱落したりして浮浪化した者 ☆「散所の大夫」とは *これらの人々を金で買ったり力ずくで拉致して利益を得た者 ☆説教節は仏教的因果応報を説くものである *散所の大夫と下層民という現実よりも *没落した貴人の運命の悲劇を織り込む方が *聞く者に強い印象を与え、効果的である ☆安寿と厨子王の物語の成立にはこうした背景があった?伝承地、東北地方 ☆津軽地方の山岳信仰の対象である岩木山に安寿が祀られている ☆説教節では安寿は拷問によって非業の死を遂げる *彼女を酷使し殺害した山椒大夫らはいずれも丹後国の者 ☆弘前藩領に丹後の人間が入ると *安寿の怨霊によって災害が起こって人々を苦しめるとされた ☆弘前藩が自らの苛政を隠蔽する為 *領民の不満を丹後人に向けた策との説もある     ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?    (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください?出典、『WIKIPEDIA』中田敦彦ユーチューブ安寿と厨子王丸(ネットより画像引用)

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