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楜沢健著『だから鶴彬 抵抗する17文字』より 

2020年06月28日 外部ブログ記事
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友人の川口重雄さんからのメールから転載します。
西日本新聞6月25日のオピニオンに「戦争は川柳人も命絶ち」と、「川柳人・鬼才『鶴彬』の生涯」を引用したコラムが掲載されました。
 「ニュース川柳」など、本紙の川柳欄で投稿の数が目立って増えている。1強政治に迎合し、コロナ禍に迷走する政治家や官僚たちを風刺する句が多い。 今は自由にものが言える。戦前には「ざん壕(ごう)で読む妹を売る手紙」などの句を作って弾圧され、29歳の若さで死んだ川柳人がいた。石川県出身の鶴彬(つるあきら)。本名は喜多一二(かつじ)である。
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西日本新聞がふれていなかった部分を転載します。
楜沢健著『だから鶴彬 抵抗する17文字』151〜152頁より。

本書の栞 「偶然と日本の国に生れ出て」

8月、獄中で赤痢に罹り、未釈放のまま淀橋区柏木町(注:新宿区北新宿4丁目)豊多摩病院(注:隔離病院)に移される。9月14日午後3時40分頃死去。死因に関しては「川柳人・鬼才『鶴彬』の生涯」に、次のような興味深い証言が掲載されている。*(証言)元731部隊に従事し、伝染病棟の医師でもあった湯浅謙氏は、数年前広島で開催された「七三一部隊展」の折に、川柳「和」同人の質問に対して次のように答えている。(回答要旨)1937年頃(丸太)は傷病兵に対する隠語であった。―留置場で普通の赤痢で死亡することは皆無である。とても考えられない特異な例だ。赤痢菌添加物を食べさせ実験してから、赤痢菌多量接種して死亡させる、は考えられる。―皇軍による罪科の殆どは証言者が現れ解明されているが、特高関係については未だに誰も証言してくれない。だから特高の本当の任務内容が闇の儘である。証言者が現れたら赤痢菌を接種されたかどうか検討がつくのだが―。鶴彬は(七三一部隊用語の)マルタ一号にされたのではないでしょうか。中国人の生体解剖に携わった湯浅謙は、終戦後に戦犯として投獄された。帰国後、自らの戦争責任を証言する講演活動を続け、昨年2010年11月2日に94歳で亡くなった。
(続く)
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