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平成の虚無僧一路の日記

髑髏(どくろ)盃 

2020年06月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



NHK大河ドラマ『麒麟が来る』。「信長」は、どのように描かれるのか。かつての大河どらま「お江」での、豊川悦司演じる織田信長はなかなか秀逸だった。「噂など信じるに足らん。己を信じよ」と、現代人への強いメッセージを残した。
「朝倉義景と浅井父子3人の髑髏を盃にして酒を飲む」件も、従来のドラマでは「信長の異常性」として描かれているのが大半だったが、豊川・信長は違った。「薄濃(はくだみ)」の一件は『信長公記 天正二年正月』に、
岐阜城にて酒宴を開き、肴として 朝倉義景・浅井久政・浅井長政3人の髑髏を薄濃(はくだみ)にしたものを据え置き、皆酒を飲みつつ、謡い舞った」とある。『浅井三代記』ではこれらの髑髏を盃にしたとある。薄濃(はくだみ)とは、髑髏を漆で固めた後、金泥などで薄く彩色する。或いは金箔を貼って「箔濃」とも)。「薄濃」の風習は、古代、ヨーロッパ、スキタイ、チベットにもあった。司馬遷の「史記」にも、「討ち取った敵に敬意を表して、その勇気を自分に取り込む為に、髑髏を薄濃にする」とある。日本では、戦で敵の首を取るというのは、外国人から見たら「首狩り族」同様の奇習とみられているようだ。その首は、女たちが、髪を梳かし、化粧を施してから、主君に披露した。浅井、朝倉三氏の頭蓋骨を 金で装飾したのは、最高の敬意かも。信長は、再三、浅井長政に降服を勧めていた。残虐非道な処置をするとは思えない。豊川・信長も、三氏に敬意を表しての扱いだった。密教の一つ「真言立川流」に薄濃の秘法があったという。また、比叡山に「薄濃」を施す職人がいたという。高僧の徳を偲ぶために行ったものらしい。信長は、西周の武王の故事に基づいて「岐阜」と命名したのであるから、「薄濃」の故事も知っていた。そして比叡山を焼き討ちした際、捕らえた職人の中に「薄濃の職人」がいたのかも。最近、明智光秀ブームで、光秀も信長も、評価が逆転している。

掛川城に展示されている「三氏の髑髏の盃」
ドラマ「功名が辻」で使われたものとか。ちょっとリアルすぎ。
こちらは「お江」での「三氏の髑髏」。盃にはしていない。

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