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人生について

令和の時代と鎌倉幕府滅亡 

2020年05月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し


新型コロナウィルスか流行っているが、鎌倉時代も疫病が

流行った。

そして蒙古襲来が原因で、鎌倉幕府が滅亡した。

その歴史を刻む場が府中にある。

新田義貞が挙兵し(この時武蔵国分寺の伽藍は灰燼に帰した)、

最終的には幕府軍(北条泰家)が府中の合戦(分倍河原合戦)

で敗れ、鎌倉街道を進撃し、遂に長く続いた、鎌倉幕府が

滅んだ。

「いざ鎌倉」と作られた守る道が、滅亡の道になったのは

皮肉だ。

しかし、鎌倉幕府が滅んでも、日本は占領されなかった。

大正時代にスペイン風邪が流行り、第一次世界大戦の終結

を早めた、そして第二次世界大戦を誘発した。

その戦争に敗れ、鎌倉時代と違い占領された。

何もかも変わり(日本の良さが否定された)、高度成長を

成し遂げる。

令和になり、新型コロナウィルスが流行り、戦争よりもひどい

犠牲を出す。まして、中国とアメリカが冷たい戦争をしている。

鎌倉時代と令和が似ている気がする。

どちらも人間の心が災いを起こしている。



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